「100万回生きたねこ」(佐野洋子著)
この絵本の存在は、以前から知っていたんだけだ、最近まで読んだことがなくて、今回始めて読む事になりました。
読んだ後、悲しいような、寂しいような、ホッとしたような、さまざまな感想が入り混じっています。
しかしこの絵本
子供の時読むのと
大人の時読むのと
では全然違う思いを感じるでしょうね。そしてその人が どんな人生を歩んできたか、その時どんな状況にいるかでも まったく違う読み取り方になるだろうと思いました。
すごく奥深い内容で 読めば読むほどに、どういうことが伝えたかったのか、考えさせられます。
実は私 この絵本読んでいて いろんな連想をしたですが、その一つが
私が強迫性障害MAXの頃の (私が生まれ育った)家庭・家族像なんですよね。
「ねこは、○○なんか だいきらいでした」
って 文が 何回も出てくるのですが、何があろうとも愛し、守ろうとしてきた家族からのあまりの仕打ちに 心は、
「私は 母なんか・・・家族なんか だいきらいでした」
って感じなっていったからです。
うーん
いや、なんか違うかな。
「なんで・・・なんでなん? 私は命がけで守り続けてきたのに、いざ私が病気になると、こんな仕打ちするなんて・・・・どうして? どうして助けてくれようとしないの? 何があろうとも愛してきたけど、徐々に心が離れていくのを感じました。・・・・・大好きだったけど、 きらい。というより、私には家族がいない・・・・もう愛せない、世界中でたった一人・・・きらい」
って書くと、もう少し ぴったりするかな。
¨誰かの飼い猫ではなく のらねこになったねこさん¨
形だけの家族がいなくなり ほんとに一人になっちゃったんだと、私なりの感想を持ちました。
¨自分がだれよりもすきだったのです¨
のらねこになってからの、この部分 ほんとに一人ぼっちになっちゃったんだな・・・・って 強がりに思え 悲しい気持になったんです。
あれだよね?
「作者の意図するもの、伝えようとした事を答えなさい」など、国語の試験問題に よく出ますよね?。
なんで こんなものが問題文に出来て、その答えが決まっているんだろう。
昔からよく思っていました。
作者さんが問題文作るならまだしも、他人が問題文を作ってその答えが 決まっているというのが、良く分からないのです。
本から伝えられるものなんて、それぞれ読む人が決めたらいいもんじゃないのかなー。
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100万回 ・・・強迫の時って 生まれ変わりたい思いになったり、 何回も何回も強迫行為を繰り返す事になるのですが、
何回繰り返そうとも終わりがないのが この強迫性障害
100万回繰り返そうとも、強迫的に納得した世界になんか到達しないです。
もともと闘わなくてもいいものと闘っているんだから、そうなっちゃうよね。
ほんとは、もっと日常的には、闘った方がいいもの(一生懸命になった方がいいもの)は、目の前にいっぱいあるはずなんだけど、 そこにあまり目が向けられなくなってしまうから、強迫性障害って 悲しい病気です。
★現在はカウンセラーとして活動しています。
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