優しい風ー山の彼方に
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2018/7/31
「城之内古墳」
山歩き
〈英霊塔〉から西に歩くと、築山が見えた。もしかしたらと歩いていくと、〈城之内古墳〉の説明板が立っていて、民家の宅地内にあったのものを、発掘調査を行ってから、ここに移築したと書かれていた。
【古墳の主体部は、片袖型の羨道をもつ横穴式石室で、玄室は、北武蔵地方に多く見られる三味線の胴のような形をした胴張型という特殊な形態である。築造時期は、太刀、耳環などの出土遺物や石室の形態などから、七世紀後半〈古墳時代後期〉の築造と考えられる】ともあった。
墳丘の西側から北側に回る土塁下には、幾つもの庚申碑が立ち並んでいた。やはり、説明板が立ち、【この百庚申は、小泉神社西側の小泉城土塁跡一帯に江戸時代中期から明治時代にかけて造立されたものを昭和四十九年にこの地に遷座したもので、八十五基を数える】と説明されていた。
●城之内古墳●
●墳丘●
●開口部●
●羨道部●
●墳頂から庚申碑群●
●城之内の百庚申●
7
タグ:
群馬県大泉町
城之内公園
百庚申
投稿者: 山香優風
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2018/7/31
「小泉城跡」
山歩き
草取りをしていたが、とても暑い。早々に切り上げ、群馬の〈小泉城跡〉へと向かう。現在、〈城之内公園〉として整備され、堀や土塁が残っていると言う。
駐車場に車を止め、内堀の周りを歩き出す。内堀は全部残っているが、外堀は一部しか残されていないらしい。南側に、〈大泉中学校〉があるが、ここは、入口の説明板に、〈三の丸〉とあった。ちなみに駐車場は、〈二の丸〉と書かれている。
西側から橋を渡り、階段を上ると、巾の広い土塁の上に出た。芝生になった本丸の周りを四角く囲んで、土塁が続いている。北側に歩くと、広い芝生の中に〈英霊塔〉が立ち、その先には、土塁があり、外堀が巡っていた。
【小泉城は。延徳元年〈1489〉富岡主税介直光が縄張りをしたことに始まり、以後富岡氏六代、約100年余の居城として栄え、威容を整えたものである。・・・天正18年〈1590〉、小田原北条方に組していた富岡氏は、豊臣氏の小田原攻めとともに敗れ、廃城となった。】と説明板に記されている。
●小泉城跡入口●
●駐車場〈二の丸跡〉●
●説明板●
●内堀と土塁●
●南から土塁●
●西から土塁への石段●
●幅広の土塁上●
●土塁と本丸跡●
●本丸跡●
●東から●
●北から●
●北側●
●英霊塔●
●外側土塁●
●西側の外側土塁●
7
タグ:
群馬県大泉町
城之内公園
大泉北中学校
投稿者: 山香優風
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2018/7/30
「点名・風早峠」
山歩き
風早峠に戻り、水を補給したりしながら、少し休み、道路南側の、木にリボンの下がった斜面に取り付いた。南に少し歩いて、二手に分かれた踏み跡を右へと南南西に取り、倒木を過ぎた所から、再び南へと方向を変え、小さなピークに上る。大木の裏側に石杭が埋まっていた。
緩く下り、登り返して行く。薄い踏み跡とピンクのリボンを追う様に進んで行く。ゆっくりゆっくり登って行くと、やがて、桧林から抜け、明るいピークになった。やはり、ここも空が抜けていた。
三角点を撫でてから、一息入れ、元来た尾根を下り始める。途中、小さなコブの手前から、左に踏み跡があったので下ってみた。間もなく、林道に着地である。ここからも上がれる様、取り付きにピンクのテープが下がっていた。ここから〈風早峠〉は少しの時間である。
●風早峠取り付き場所●
●しっかりした踏み跡●
●分岐の文字の消えた標識●
●荒れてきた●
●リボン●
●コブにあった石標●
●登り返して行く●
●山頂が見えてきた●
●三角点峰山頂●
●三角点標石〈点名・風早峠〉●
9
タグ:
埼玉県皆野町
風早峠
林道上武秩父線
投稿者: 山香優風
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2018/7/30
「金沢城山」
山歩き
今日も出が遅くなってしまった。埼玉県皆野町にある〈風早峠〉を基点にして、〈金沢城山〉や幾つかの三角点峰を訪問する積もりで、車を走らせる。
〈林道上武秩父線〉をクネクネと走り、やがて、〈開設記念碑〉の立つ、〈風早峠〉に車を止めた。今日は風が無い。支度をして、地形図を確認、〈開設記念碑〉脇から北へと歩き出す。
桧林の中に踏み跡が続いている。境界杭の場所に付けられているピンクのテープが進む先を示していた。踏み跡が二手に分かれた所で右折、少し登って小さなコブに立つ。
地形図を見てから、桧の斜面を下っていく。コルから登り返すと、露岩のあるピークに着いた。ここが、『浅間山』の様である。辺りを見回したが、山名標識は何処にも無かった。
山頂を後にして、少し戻り、コブには登り返さず、東斜面をトラバースして北への尾根に上がり、尾根から登りつめた高みが『金沢城山』だった。城跡らしい遺構を見つけながら北へと歩くと、アンテナの立つ見晴らしのいい場所に出た。
山頂に戻って、冷たい水を飲み、北方下にある三角点を訪問しようかどうかと迷った。見たところ、ここから先に踏み跡は無く、斜面は藪に覆われている。
休んでいると、風が出てきて、木々の葉が揺れ始めた。これに気をよくして、三角点を目指す事に決めた。全く、単純である。雑木の藪の中に入ったが、木々の枝や倒木、蔓などに阻まれ、右へ一歩、左に一歩となかなか大変である。右手に痛みを感じて見たら、棘が刺さっていた。
少しの悪戦苦闘が終わって、藪の無い斜面に出た。ホッとして歩いていると、右手の藪がガサガサと音がして、ブハブハと鼻息が聞こえたので、思わず杖で木を叩いた。
コルから登りあげると、三角点標石の埋まるピークに着いた。此処だけ、ポッカリと空が開け、太陽が照らしていた。三角点を撫でてから、コルまで戻り、爽やかな風を受けながら、バナナを口に運んだ。
藪の中を登りあげるのは、嫌である。東へと踏み跡があるので、歩いてみる。間もなく、家が現れた。〈海老の平別荘地〉の中の道に出たのだった。あとは、〈林道上武秩父線〉を〈風早峠〉に向かって、トボトボ歩いていくだけである。
●風早峠●
●開設記念碑●
●尾根道●
●道標●
●二股を右折●
●登り返す●
●浅間山山頂●
●尾根道●
●金沢城山山頂●
●アンテナからの見晴らし●
●雑木の藪●
●石杭を追って行く●
●手に棘が●
●藪が消えた●
●堀切 ?●
●三角点峰山頂●
●三角点標石〈点名・喉メキ〉●
●堅掘か?●
●風早山辺り●
●浅間山●
8
タグ:
埼玉県皆野町
風早峠
林道上武秩父線
投稿者: 山香優風
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2018/7/28
「道帰り山砦」
山歩き
群馬県笠懸村、現在のみどり市にある〈鹿田城砦群〉の中に、まだ、訪問していない〈健岩山砦〉と〈鶴山〉のあることを、長い間、忘れていた。思い立って、雨の中、笠懸村鹿へと車を走らせる。
山の麓に立つ〈吹上集会所〉近くに車を止め、案内板を眺める。道路を少し上がった所に石段があり、上がり始める。長い石段を登りつめると帯郭の様な平らな場所になり、一登りで石碑の立つ山頂『健岩山砦』である。
北側は崖になっていて、ロープが張られている。木々の間から遠く、赤城の山並みが眺められた。西へと歩いていくと、間もなく、二股になり、右折して、笹の中の踏み跡を追って行く。
笹に覆われて、二つのベンチがあった。更に雨に濡れた笹を足で蹴りながら進んで行く。やがて、登りになり、笹に隠れて二基の小さな石祠が現れた。
背の高くなった笹を手で払いながら上っていくと、間もなく、左手藪の中に三角点標石を見つけた。『道帰り山砦』山頂である。以前にも来ている筈なのだが、全く思い出せない。
雑木の中、展望は無く、来た道を戻り、〈健岩山〉山頂で、しばらく風を受けた。台風のせいか、かなり風が通り、汗をかいた身体がとても気持ち良かった。
石段を下ってから、〈渡良瀬養護学校〉へと道路を上がっていき、途中、〈↑鹿田山フッとパス〉の道標を見て西進、丁字路を左折してすぐに〈庚申碑〉の立つ場所を左折、東に向かって歩いていく。
左に先ほど歩いた〈道帰り山〉があり、遠く、赤城山が眺められた。右手には、鹿田山の峰々が並んでいる。間もなく、舗装道は終わって、下草の伸びた農道になったが、少しの距離で、間もなく、草の消えた道に変わった。
道の突き当りが『鶴山』山頂で、やはり、展望は無かった。しかし、木々の間から、涼しい風が吹き抜けてきて、熱くなった身体にぶつかってきた。とても爽やかな気分になった。猪捕獲箱をチラ見しながら、暫くの間、気持ちよく風を受けた。
●吹上集会所と健岩山砦●
●取り付きの石段●
●これがまた、長い●
●まだ続く●
●帯郭か?●
●山頂部●
●石碑の立つ、健岩山砦山頂●
●踏み跡を西へ●
●赤城山●
●笹に埋もれてベンチが●
●笹の中の踏み跡を追って行く●
●二基の石祠●
●藪の、道帰り山砦山頂●
●三角点標石〈点名・吹上〉●
●庚申碑●
●鹿田山の峰々●
●道帰り山・健岩山●
●下草の中を●
●赤城山〈左奥〉・道帰り山●
●鶴山山頂●
●鶴山●
●健岩山砦・道帰り山砦●
9
タグ:
群馬県みどり市
健岩山砦
鹿田山城砦群
投稿者: 山香優風
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