谷脇康彦(たにわき・やすひこ)  84年、郵政省(現総務省)入省。OECD事務局(在パリ)ICCP課(情報・コンピュータ・通信政策課)勤務(87-89年)、電気通信局事業政策課課長補佐(93-97年)、郵政大臣秘書官(99-00年)、電気通信局事業政策課調査官(00-02年)、在米日本大使館ICT政策担当参事官(在ワシントンDC、02-05年)、総合通信基盤局料金サービス課長(05-07年)、同事業政策課長(07-08年)を務め、08年7月より現職。ICT政策全体の総括、通信・放送の融合・連携に対応した法体系の検討、ICT分野の国際競争力向上に向けた施策展開などを担当している。著書に「世界一不思議な日本のケータイ」(08年5月、インプレスR&D)、「インターネットは誰のものか」(07年7月、日経BP社)、「融合するネットワーク」(05年9月、かんき出版)。日本経済新聞(Nikkei Net) ”ネット時評”、日本ビジネスプレス”ウォッチング・メディア”などへの寄稿多数。

2007/9/18

週刊タニワキ(9月10日)  週刊タニワキ

 10日(月)、国会始まる。今週はモバイル研とネット中立性懇の報告書の仕上げでバタバタ。合間を縫って取材とか打ち合わせ。週全体を通じてほぼ運動会状態。
 11日(火)、準備を進めてきたデジタルディバイド解消戦略会議を大臣から発表していただく。その後ブリーフィング。夕刻、パリの友人Sさん来訪。問題意識が似ていて、毎回気持ちの良い議論をさせていただく。夜、部のメンバーの歓送迎会。実はこの日は私の誕生日。9.11ということで、米国に住んでいた際も、何か人には言いにくい雰囲気があった。とある日、旅行していてアリゾナでレンタカーを借りようとしたら、ラティーノの従業員のお兄さんが、「え?あんたも9.11かい?俺もなんだよ。何かやりにくいよなぁ」と笑いながら話しかけてこられたのを思い出した。アメリカに赴任した02年6月。テロから1年も経っていない。ペンタゴンはまだ焼け焦げたままだった。1年後には修繕終了。誰が指示したわけでもなく、1年以内に修繕を終わらせるんだという機運が盛り上がって実現したと聞いた。また、ニューヨークの現場を見たのは02年の夏だったろうか。まだ焼け焦げた臭いがしていたのを思い出す。当時は多くの車(特にフォードやシボレーのピックアップトラック系)が星条旗を立てて走っていた。
 12日(水)、午前は情通審接続委員会。接続料算定方法についての議論。ようやくこここまで来たか。やれやれと一息ついていたら、安部総理辞任。「えぇぇぇぇぇ!」となって情報収集に走る。仕事にならない。。。
 13日(木)、この日もバタバタ。午後、公明党の部会。来週には海外出張も予定されているので、その準備をしなければならないのだが、なかなか時間がない。取材と打ち合わせで1日が終わる。夜、日比谷松本楼で課の送別会。立食で送別会とはなかなかオシャレじゃなぁい?
 14日(金)、打ち合わせやら大臣説明などであっという間に1日が終わる。うーん、出張の資料ができないよう。何せ30分の講演なので原稿をしっかり作らないとね。というわけで、恵みの3連休に突入。3連休を潰してなんとかプレゼン資料と講演原稿を書き上げる。ついでに来週締め切りの原稿も1本書いてしまう。本当は広島カープの試合を見に行きたかったけどグッと我慢(あぁ、カープはまた連敗街道に。私が行って気合を入れる必要があるのだが。)

追記 16日(日)に銀座のマロニエゲートに出来たポール・ボキューズに行ってみた。新しくできたビルでハンズなどが入っていて、入場するだけでも大変大変。お店はもちろんフレンチだが、結構コストパフォーマンスが良くて、しかもおいしい。個人的にはとっても好きな味。店をグルっと見回すと、なんとお客さんの9割はやや年配のご婦人方。旦那はどうした?仕事か?ゴルフか?ごろ寝か?
 同日夜、NHKの番組でモバイルビジネス研が取り上げられる。私もビデオでサラっと登場。家族が見て、「しゃべるのが早くて何言っているのかよくわからん」、「微笑み方が偽善的である」、「下から見上げて撮っているので禿げが見えないのはせめてもの救いである」などの意見が寄せられ、ひどく落ち込んだ。
 
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