2005/11/23
進化してますか? エッセイ
最近「ブログ見ましたよ」と言われることが多い。続けて「でも、最近更新されてませんねぇ」。そうなんです。ブログがwebとlogの合成語、いわば日記のインターネット版、書き続けることに意味がある、しかも簡単-----てなところなのはわかっている。しかし、ダイエットがうまくいかないように、発毛促進がうまくいかないように、ブログを書き続けるというのは結構大変なこと。人気ブロッガーの皆さんはホントすごい。
さて先日、コンピュータの草創期から携わってこられた方のお話を伺う機会があった。その方の興味深いお話を聞きながら、自分自身、コンピュータとどう付き合ってきたのか、改めて考えた。純粋事務系、物理学ダメダメの谷脇の事、大したことはないのだけれど、思い起こしてみると、結構「遍歴」している。
コンピュータに初めて触れたのは大学の大型コンピュータだった。富士通のFACOM230-25。パンチカードでプログラムとデータカードを打ってた。それがMシリーズになって、すごい、カードがなくなって画面上でプログラミングができるようになった。ちょっとしたワープロみたいなこともできる。何だか自分が偉くなったような気がした。その間、パソコンもいろいろ触った。文系なのにパソコンクラブに入っていたので、TRS80とかPET2000とかMZなどに触れていた。PETはほとんどインベーダーゲームの機械となっていて、キーボードの特定のキーが甘くなっていたことを思い出す。UFOが登場したときに興奮して連打するから。ね。そしてNECのPC8000シリーズの登場。これは革命的でした。こんなに使いやすくて賢いPCがあるのかと思った。
就職して最初の職場には日経のオンラインサービスがあって、経済統計をXYプロッター(マジックが紙の上をグイグイ動いて絵を描いてくれる、いかにも「仕事してるもんね、俺」という機械)でいっぱい描いて楽しんだり、8インチのフロッピーの入る大型の東芝のワープロで文書を打ったりしていた。机の上にワープロなんて夢の夢。そのうち、新しいもの好きが自分でワープロ買って持ってきて机の上に置くようになり、さらにその何年か後になってワープロが各人に配られ、そのうち、それがPCに置き換わった。
ワープロ初期の時代はワープロ職人様みたいな人がいて、みんなでありがたがっていた。「お願いします、ワープロしてください」「ン、そこまで言うなら打たないこともないけどね、僕ちゃん」みたいな感じ。そういえば80年代半ばというと、まだ紙テープのテレックスも使っていた。中国(北京)に電話すると3時間くらい待たされた。携帯電話は弁当箱みたいなものだった。
時折パーティーとかで「インターネット使い始めてどれくらいですか?」と質問したりする。皆さん「うーんと」と考え込んで、各人それぞれのお話を聞かせてくださる。これが結構面白い。それぞれの背景とか利用シーンなどが違っていて「人に歴史あり」みたいな展開をみせる。私の場合、インターネットつうことだと、恥ずかしながら90年代半ばだと思うし、メールはそれから更に数年遅れた。仕事が忙しくて「ワープロ」からの乗り換えが遅れたんだけれど、ある方に資料を送ろうとして、「通信やってる郵政省(当時)なのにメール使えないの?」と言われて、あわててメールを使い始めた。それからたかだか10年ですわな。これが。なんてことでしょう。通勤にはiポッド、職場ではPCかじりつき、自販機ではEDYで決済、ヒマな時間は携帯でメールチェック、家に帰れば小さいながらもハイビジョン。変われば変わったもんだ。
職場も前より静かになったと実感。そりゃそうだ。電話の数がものすごく減った。打ち合わせも減った。メールで済んでいる。でも、これはちょっと心配な感じだ。「●●さん、電話がかかってますよ」ってメールする人も多いとか。ここまでくるとちょっと心配。
ITの世界は変化しているから面白い。外国に暮らしていても、全然コミュニケーション不足にならない時代になったと実感した。でも、人と人の直接のコミュニケーションはますます大事になっているし、ITの変化を生活の進化にしたいもんだ。皆さんは進化してますか?
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さて先日、コンピュータの草創期から携わってこられた方のお話を伺う機会があった。その方の興味深いお話を聞きながら、自分自身、コンピュータとどう付き合ってきたのか、改めて考えた。純粋事務系、物理学ダメダメの谷脇の事、大したことはないのだけれど、思い起こしてみると、結構「遍歴」している。
コンピュータに初めて触れたのは大学の大型コンピュータだった。富士通のFACOM230-25。パンチカードでプログラムとデータカードを打ってた。それがMシリーズになって、すごい、カードがなくなって画面上でプログラミングができるようになった。ちょっとしたワープロみたいなこともできる。何だか自分が偉くなったような気がした。その間、パソコンもいろいろ触った。文系なのにパソコンクラブに入っていたので、TRS80とかPET2000とかMZなどに触れていた。PETはほとんどインベーダーゲームの機械となっていて、キーボードの特定のキーが甘くなっていたことを思い出す。UFOが登場したときに興奮して連打するから。ね。そしてNECのPC8000シリーズの登場。これは革命的でした。こんなに使いやすくて賢いPCがあるのかと思った。
就職して最初の職場には日経のオンラインサービスがあって、経済統計をXYプロッター(マジックが紙の上をグイグイ動いて絵を描いてくれる、いかにも「仕事してるもんね、俺」という機械)でいっぱい描いて楽しんだり、8インチのフロッピーの入る大型の東芝のワープロで文書を打ったりしていた。机の上にワープロなんて夢の夢。そのうち、新しいもの好きが自分でワープロ買って持ってきて机の上に置くようになり、さらにその何年か後になってワープロが各人に配られ、そのうち、それがPCに置き換わった。
ワープロ初期の時代はワープロ職人様みたいな人がいて、みんなでありがたがっていた。「お願いします、ワープロしてください」「ン、そこまで言うなら打たないこともないけどね、僕ちゃん」みたいな感じ。そういえば80年代半ばというと、まだ紙テープのテレックスも使っていた。中国(北京)に電話すると3時間くらい待たされた。携帯電話は弁当箱みたいなものだった。
時折パーティーとかで「インターネット使い始めてどれくらいですか?」と質問したりする。皆さん「うーんと」と考え込んで、各人それぞれのお話を聞かせてくださる。これが結構面白い。それぞれの背景とか利用シーンなどが違っていて「人に歴史あり」みたいな展開をみせる。私の場合、インターネットつうことだと、恥ずかしながら90年代半ばだと思うし、メールはそれから更に数年遅れた。仕事が忙しくて「ワープロ」からの乗り換えが遅れたんだけれど、ある方に資料を送ろうとして、「通信やってる郵政省(当時)なのにメール使えないの?」と言われて、あわててメールを使い始めた。それからたかだか10年ですわな。これが。なんてことでしょう。通勤にはiポッド、職場ではPCかじりつき、自販機ではEDYで決済、ヒマな時間は携帯でメールチェック、家に帰れば小さいながらもハイビジョン。変われば変わったもんだ。
職場も前より静かになったと実感。そりゃそうだ。電話の数がものすごく減った。打ち合わせも減った。メールで済んでいる。でも、これはちょっと心配な感じだ。「●●さん、電話がかかってますよ」ってメールする人も多いとか。ここまでくるとちょっと心配。
ITの世界は変化しているから面白い。外国に暮らしていても、全然コミュニケーション不足にならない時代になったと実感した。でも、人と人の直接のコミュニケーションはますます大事になっているし、ITの変化を生活の進化にしたいもんだ。皆さんは進化してますか?

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