2009/6/10
先日の京都西陣でのコンサート(5月30日)は、あいにくの雨で、生まれて初めて雨に打たれての演奏を体験しました。
会場は、テレビの撮影でお世話になって西陣の美しい町並みを楽しめる浄福寺通大黒町の街角で、屋外会場でした。
この雨の中、演奏を中止するという選択肢もありました。実際、この流れは中止になるだろうと、かってに自分でも考えていました。
しかし東京から来てくれていた私の友人や、撮影でお世話になった方々が楽しみにしていただいているのを聞いて、演奏するしかないのかなぁ〜〜と重い腰をあげました。心の中は、「ヤケクソ」・・・言葉は悪いですが・・・・そういう気分でした。
やはり演奏はバチが雨のため滑り、また勢いよく低い音に振り向くので、演奏するとき雨が目に入り打つべき音が見えないこともありました。私としてはあまり満足の結果ではありませんでした。
しかし意外や意外、音に感動したという反応が多かったのです!!! なんでもやってみるものですね!
今思うと、聴衆と編鐘との間の空気の湿りが、編鐘の音を、揺らぐ波紋のように柔らかく優しく人々に伝えてくれたのかもしれないです?
編鐘の長い余韻が、雨音ととけあい「琴線にふれる音」という感想に結びついたのかもしれない・・?
また私の覚悟を決めた演奏が、邪念がなく良かったのかも・・・・???
かくして私は、こうして雨に合う楽器という編鐘の新たな側面を発見したのでした。じゃ〜〜じゃ〜〜じゃ〜ん
これにて、本日はオシマイ

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2009/6/10
以前から相模原の風の強さには驚いていたましたが、先日の突風には恐怖心さえ覚えました。私の生まれた京都では、風は吹いても微かに吹くのか日常で、台風のときでもないかぎりあのような突風は吹かないのです。
風の強さにひたすら耐えて庭仕事を片付けたましたが、形を整えた花や木々を楽しむような天候ではなく、まさに花や木々は自然のままに揺れ動いていました。
花や木が折れてしまうのではないかと心配して一日中気にかけていましたが、自然はそういう状況には慣れているのか、風の吹くままに枝を揺れ動かせ、花びらや木の葉を落としても幹はしっかりと守っていました。
自然と共に、その自然を受け入れて生きている植物のなんという柔軟さ!!!
私は京都で育った為か、細かいことも気になり、些細なことにも自分の貫くことを「真実」だと思ってきました。
しかしこの自然の柔軟さを見ていて、些細なことは気にせず、天に向かって枝を伸ばしていくという「命の営み」こそが真実なのだと学ばせられました。
やはり自然はいつでも、私の偉大な先生だと今回も痛感しました。


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