2005/9/4

平らな鏡  

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なかなか自分の思う通りにはいかないと解っていても、やっぱりモノをつくる仕事が好きです。

その理想と現実の狭間にある大きな河に落っこちて早十数年。
あたまを上流に向けてどんぶらこと流れて行きながら、ちょっとずつ手や足を動かしてなんとかあっちの岸へ近づこうともがく毎日です。
時には自分の力ではどうしようもない不条理な流れに巻き込まれて、がぼがぼ水なんか飲んじゃってもうこのまま溺れちゃってもいいやとか思ったりもするのですが、そんなとき僕の中で精神的なバランスをとってくれているのは、こうしたつたない文章とか写真とか絵のような、とてもプライベートな、自分にとって本当に自由なモノづくりであると感じます。

僕にとって、自由にモノをつくるということは、平らな鏡を見るようなものかと思います。
一日の半分以上の時間を費やしているいまの仕事であるとか、上司や同僚や遊び友達や、最近では顔も知らないネット仲間とのコミュニケーションであるとか、もちろんそういったものも自分を映す鏡にはなるのですが、それらは必ずしも平滑ではなくて、いろんなところがふくらんでいたりヘコんでいたり曲がっていたり、時には曇っていたりヒビ割れていたりしています。
自分が本当の自分よりも大きく見えたり小さく見えたり、凛々しかったり醜くかったり、太っていたりスリムだったりと、見ている方も結構大変です。
一喜一憂しながらどんなに必死になって鏡を覗き込んでも、鏡が自分を見るほどには、正しい姿が見えてこないように思えます。

あるがままの自分を見るためには、そのままの自分を映してくれる平らな鏡が必要です。
少ない語彙から言葉を選びながら何かを綴ったり、ふと目に留まったものをカメラに収めたり、どうまとめるともなく大きな紙に絵を描きはじめてみたり。
スケジュールもスペックもない、そんなモノづくりをしてみると、なんとなくその中に自分の姿が見えてくるような気がします。

もちろん、何かをつくるということだけではなくて、自分を人当たりの良い姿カタチに吊り下げてくれているつまらない見栄とか意地とか周囲とのしがらみとか、そうしたものから自分を切り離すことができれば、どんなことでも鏡になるのだと思います。
自分が素直に、正直になれるもの。
たとえば映画を観てドキドキしているとき。本を読んで泣いているとき。音楽を聴きながら静かな心持ちのとき。
バイクで落ち葉の上をカサカサと走っているとき。カヤックやボードで水の境目に浮かんでいるとき。
感じる気持ちや口をついて出る言葉は、平らな鏡に映った自分なのだと思います。
時々はそうやって自分を何かに映してじっくり眺めながら、ぷよぷよしてきた脇腹をつまんでみたり、眉間に寄ってるシワをほぐしたりしないとね。
ちょっと勇気が要りますけど : )

しかし、決して平らでないとはいえ、仕事でのモノ造りも僕にとっては大きな鏡です。
この一年間携わってきた仕事は、その課題や手法の新しさから少なからず問題もあり、僕にとってはどこか曇った鏡でした。
ただ、ひと区切りがついたいま、少し落ち着いて鏡を拭いてみると、そこに映っていた僕もまた、勉強不足を棚に上げて不平不満ばかりを並べ立てる自分勝手な気分屋であったように思えます。
これからいろんな反省や提案を盛り込んで、この大きくて、ほんの片隅にしか自分の顔が映らない鏡もまた手の届く限り磨き上げていけたらと。

本日の一枚
例外として、女の子のカタチをした鏡というのは、平らじゃなくてもついつい我を忘れて覗き込んでしまいますね。
鏡としての造形美を愛でるのはもちろんですが :) そこに映った自分を見ては悦に入ったり落ち込んだり。
性懲りもなく(笑)
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2005/9/30  8:47

投稿者:ちょびさん

きちんと言っていることの意味を理解できていないかもしれませんけど

うーん、色んな事ひっくるめて 難しいですよねぇ



2005/9/14  8:10

投稿者:あきさん

なんとなく、わかります。
本当の自分をわかってくれなくてもいいけど、素直に生きたいです。

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