2007/4/1
アイルランドのジャガイモ飢饉
19世紀はじめのアイルランドは、「不在地主」のプロテスタントが支配する一方で、その国土には自ら食す分もままならないような面積の農地しか持たないカトリックの貧農たちであふれかえっていた。
そのなかで、主に麦を栽培していた小作農家たちは、地主に納めなくてもよく、荒れた土地でも栽培できるジャガイモの栽培を始めた。ジャガイモの栽培は急速に普及し、農民たちの主食となっていった。
ジャガイモは栄養素に優れ、ジャガイモを主食としていたアイルランドの貧農は、パンを主食としていた他のヨーロッパの貧農よりも健康的ですらあったという。このため、ジャガイモ中心の食生活となったアイルランドの人口は急増し、1800年代初め450万人だった人口は、わずか40年あまりで800万人に増加した。
ところが、1845年から急にジャガイモが不作にとなり、歴史を変えたとも言われるジャガイモ飢饉の勃発する。不作の原因は、単なる天候不順ではなかった。アイルランド全域で栽培されていたジャガイモは単一品種に限られたため、遺伝的多様性を欠き、胴枯病というジャガイモの伝染病が1845年から数年に渡って流行すると、耐性を持たないアイルランドのジャガイモは一気に壊滅状態となり、アイルランド全土を飢饉が襲った。
当時の英国は、農業国から工業国へと転換し、産業資本家(ブルジョアジー)の台頭した時代であった。このため、アイルランドの食糧危機に対し、英国政府は自由放任主義の立場をとり、穀物の輸入は実施されず、国外への輸出に対する規制も行われなかった。
結果として待ち受けていたのは荒廃だった。食糧の価格は高騰し、貧民の手には届かないものとなってしまう。他方で、地代をまかなうために穀物や牧牛の輸出は続けられていた。深刻な飢えに直面しているにも関わらず、食糧は国内から失われる一方という、異様な事態を迎えることになった。
この大飢饉は1849年まで続き、100万人以上が餓死し、200万人以上が米国をはじめ、カナダ、オーストラリア、英国本土への移住を余儀なくされた。この時米国へ移民した中にケネディ家の祖先も含まれている。こうして飢餓や移民などにより1840年には800万人を越えていたアイルランドの人口は1911年に440万人にまで減少してしまう。
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