2007/6/1
「第1章第2節 ケルトとカトリック」
2 ケルトとカトリック
ケルト(ゲール)人の国アイルランドに、キリスト教を伝えたのが、432年にローマ教皇の命を受けた聖パトリックで、彼はアイルランドに元々存在したケルトの宗教観を改宗させるのではなく、キリスト教と融和させる形を取りキリスト教を布教した。その際シャムロック(三つ葉の植物)を手に『三位一体』を説いたためシャムロックは彼のシンボルとなったといわれる。
アイルランドは、メキシコ湾暖流のおかげで一年を通して寒暖の差が少なく、積雪もほとんど無く、湿度が高いせいか芝生が一年中青々しており、エメラルド・アイランドともいわれる。そのエメラルド色の緑が、アイルランドの色。そんな、緑の島アイルランドではシャムロックは身近な存在であった。
ケルト独自のキリスト教は、中世キリスト教が全盛期を迎える11世紀末には、ローマ・カトリックにとって変われ、以後、アイルランドは熱心なカトリック教国となった。
隣国イングランドの侵攻は、12世紀アングロノルマン(イングランドを征服したノルマンの子孫)の侵入によって始まるが、彼らはカトリックだったのでしだいに土着化し、「古いイングランド人」として、アイルランド4地方のうちレンスターとマンスターの支配者となる。
イングランドによる支配は、15世紀末以降本格化するが、16世紀におきたイングランドの宗教改革は、アイルランドに大きな影響を与えた。ゲール人の手に唯一残されたアルスター地方が、支配者オニール一族の「伯爵の逃走」(1607)によって、プロテスタントの「新しいイングランド人」の手に渡ると、このアルスター地方には、プロテスタントのイングランド人とスコットランド人の計画的な植民が行われ、北部アイルランドには宗教のみならず、生活様式も他のアイルランド地方とは異なる社会が形成されていった。
しかしながら、アイルランド全土でみれば、決定的だったのがクロンウェルの侵攻による植民地化であった。イングランドでは宗教改革以降プロテスタントの力が強まっていたが、清教徒革命が起こると、「カトリック勢力としてのアイルランド」と「プロテスタント勢力としてのイングランド」の対立は決定的なものとなっていく。
1652年共和政イングランドの指導者オリバー・クロムウェルは、イングランドの内戦を収拾したのち、カトリック勢力の支配する地アイルランドへと軍を向ける。この侵攻は大規模な虐殺を伴ったことで知られており、アイルランドの全人口の3分の1が殺されるか国外逃亡を余儀なくされたと伝えられている。クロンウェルは、カトリックの「古いイングランド人」にも容赦がなかった。
アイルランドのカトリック勢力が所有していた農地の多くは没収され、イングランド側に配分が行われ、プロテスタントのイングランド人地主とカトリックのアイルランド人小作人という構図が生まれた。さらに、カトリック教徒の権利を大幅に制限する法律の数々「カトリック刑罰法」 (Penal Law)が発令され、以後、アイルランドの大多数のカトリックは少数派のプロテスタントから厳しい差別や虐待を受けることになる。
聖パトリックが三位一体になぞらえたシャムロックは、やがて、アイルランドとカトリックの象徴となり、英国によって抑圧された状態に対するナショナリズムの表現となって、シャムロックを身に付けるようになった。
参考サイトhttp://www.globe.co.jp/information/history/history-2.html#hi9
参考文献「図説 アイルランドの歴史」リチャード・キレーン著 鈴木良平訳 彩流社
「概説イギリス史」青山吉信・今井宏編 有斐閣選書

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