震災から早5ヶ月が過ぎたが・・
未だに悪夢を見ているような気がする。
支援して下さった多くの方々に感謝しつつ
あの日のことを報告しておきたいと思う。
【石炭の滝 2011.3.11 14時46分】
あの日、採集の成果は芳しくなく・・一休みして
同行のNさん・Oさんと談笑を始めた頃、地震は起きた。
釧路沖・
中越沖の地震も体験しているが
そのどれとも違う、初めて体験する凄まじい揺れと地鳴りだった。
6年前の
宮城県沖地震でも入店中のレストランのガスがストップする等の
ハプニングがあったにも関わらず、その後山に入ってるし
3年前の
岩手・宮城内陸地震の時もコンビニ内で地震に遭うも
先に入山していた、ぱきおさんと合流して採集をしている。
そんな呑気な私でも今回の地震では、さすがに直ちに下山を決めた。
撤収作業中にタイムトラベラーさんとぱきおさんから相次いで電話が入る。
家も気になって弟に電話をすると、「被害は人形ケースが落ちた程度。
母の友達が来ているが帰りたいというので母と一緒に車で送っていく」
とのこと・・・
下山中に、ぱきおさんからの第2報。
気仙沼に6mの津波が予想されてるとのことだった。
実際に6mの津波なら我が家にも到達するだろう。
しかし、その時はまだ床下浸水程度で済むと思っていた。
クルマまで戻ると、我がジム君は左フェンダーに落石を受け
20p程の傷を中心に凹んでいた…
走行には支障無さそうなので、気を取り直して
Nさんに続いて林道を下り始めた。
途中に岩盤の崩落箇所があり、3人でそれを排除する。
多くは細かく砕けていたが大物が1ヶあり、Nさんが持っていた
大ハンマーで小さくした後、3人掛かりで転がして沢に落とした。
タイヤを切らぬよう慎重に通過する。
その先のある路肩が補修された部分も懸念されたが
こちらに崩落はなく、無事林道を脱出!
「何事も無かったら明日、デボンの森で!」などと
呑気なことを言って別れた。
その後、Nさん達も
壮絶な脱出行を展開することになったようだ。
あれだけの地震の後だ・・三陸道は、やはり入り口で閉鎖されていた。
Uターンして間もなく渋滞に巻き込まれた頃、弟から着信。
その内容は俄かには信じ難いものだった。
「途中、津波に遭い遮二無二Uターンして逃げたが渋滞に捕まった。
母達は先に車を降りて自宅方向に向かったが、自分は車を流され
赤レンガのマンションの屋上に避難している」
「・・・そこに行くから待ってろ」と電話を切った。
これを最後に、この日電話は誰とも繋がることは無かった・・・
大船渡市役所付近で止められ、45号線は通行不可で
市役所で待機と告げられる。
とりあえず右折して前の車を追うが
何時まで経っても市役所は見えない。
気が付くと45号線の1本裏の通りを戻るように走っていて、
やがて長安寺に至る道に出た。
そうだ!待機などしてはいられない・・
住田町から気仙川を越え、千厩経由で気仙沼に戻ることに決めた。
住田町に入る頃には日が暮れて真っ暗になった。
全町が停電して異様な暗さだ。
340号線高田街道に左折、しかし雪沢の入り口付近で
またしても止められる。
気仙川を逆流した津波が橋に当たって氾濫しているらしい。
当然、橋を渡って千厩に抜けることなど出来ない。
これによって、(地図もナビも無いが)再び山側に入り
水沢方面を経由する大迂回を余儀なくされることになった。
続く・・・