(如月廿日) 布施  社会

日産の村山工場跡地を購入したことで知られる宗教法人の真如苑が運慶作といわれる大日如来像を三越に依頼してオークションで落札したことがこのほど明らかにされた。さすがに資金力のある新興宗教のなせる業でもある。そんなことを耳にしながら、今月の文藝春秋を読んでいたら興味ある記事を目にした。梅原猛氏はこう書いている。

《私は、布施、すなわち贈与は、人と人との間の基本的な関係であると考え、その種類によって職業を分別した。つまり漁業、農業、工業ばかりか商業に携わる人間は財施すなわち物の贈与、学者や教育者などは法施すなわち知識の贈与、芸術家や役者やスポーツ選手などは無畏施(むいせ)すなわち人の不安を除き、人を楽しませる贈与を行う職業であると論じた。それではいったい政治家はどのような布施を行っているのであろうか。洋の東西を問わず、施政者の理想は民の生活を安定させることである。先の布施の定義に従えば、施政者は財施によって民に富ませ、法施によって秩序を与え、無畏施によって民の不安をなくすのがその使命であると考えられてきたのである。》

「布施」が財施と法施と無畏施の3種の施しを意味するというのは仏教的には常識である。

《私は長い間、仏教を研究してきたが、この布施というものにいまひとつ親近感をもつことができなかった。ふつう布施は物を与えることと解釈される。》

一般的に布施については物を与えると理解されており、梅原氏もそのようだったようだが、この布施に対して少し立ち入って考察を加えている。今回の仏像購入は逆の意味でどういう布施なのだろうか。
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