(弥生壱拾四日) 読書という習慣  

現在、当たり前になっている「本を読む」ということが、日常のスタイルとなったのは日本では明治30年代からである。なぜか。鉄道網の発達というと「へえ〜」と思われる人も多いのではないか。

今でこそ日本に住む我々は小笠原諸島など一部の地域を除いて、おおむね同じ内容の全国紙を同日に読むことができる。ところが、明治20年代でも例えば北陸地方では、東京からの新聞雑誌の到着には1週間ほどかかっていた。この頃は、坪内逍遥が「早稲田文学」を創刊し、島崎藤村らが「文学界」を立ち上げた時期である。文学に憧れる若者にとって、この時差はもどかしく東京に集まらざるをえなかったのは、こういう事情があったのである。いわゆる一極集中である。これを打破したのが明治30年代からの鉄道網の全国展開だったのである。この車中の時間が読書の時間を生み、「読むということ」が一般化していったのである。今のような高速鉄道ではないから相当な時間があったわけだから、この時間を如何に過ごすかということだ。

ところが、この時代、リテラシー(読み書き能力)は教育の場の違いによって大きく変わっていた。一番大きいのは音読と黙読の相違である。現代でも声に出して読む本とかあるが、黙読の習慣のない奴が列車でこれをやられると、周りの人間はたまったものではなかっただろう。これを止むを得ないとするか、迷惑だという論争も起こったようである。昭和の電車の中のウォークマンや平成の携帯などと通じるものがある。

江戸時代の旅というのは徒歩しかなかった。そこには退屈や暇つぶしという概念が入る余地はなかった。鉄道で移動するということになると、いかに暇をつぶすかというのが重大関心事となったわけで、ここに「読むこと」というスタイルが日本に普及していったわけである。
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