(卯月壱拾六日) 停留  社会

新型インフルエンザで、国内4人目の感染が確認されたようだ。しかし、これだけ移動手段が多様化された現代で、水際作戦が完全に機能すると考えるほうがおかしいとマスコミは思わないのだろうか。今回も、もう新型インフルエンザのウィルスは日本国に侵入しているという前提での覚悟が必要ではないか。その上で「診療拒否」のようなたわごとを垂れ流す大マスコミをきちんと断罪し、正確な情報管理と動揺の防止に、もはや危機管理のシフトを移すべきである。

しかし、ここにきてマスコミが垂れ流している「停留」って何ですか。私はバスの停留所くらいしか思いつかないのですが。この苔生した日本語が、急に大マスコミの中で踊り始めている。停留という文字を辞書で引くと「その場所にとどめること」という。そのまんまである。しかし、ウィルスの蔓延を防ぐためならばとどめるだけではダメだし、現にいまも成田のホテルに「停留」を余儀なくされている生徒たちは、部屋からの外出を制限され、食事も弁当でとらされている。つまりは「隔離」なのである。

言葉はそのものが実態を規定する力を持つ。「停留」ではなく「隔離」ということが何か差別的な感触を持つと大マスコミが日和っているとしたら大間違いだし、そう書くことでそうした意識を持つとしたらそれは私たちが悪いのだ。実は「停留」という表記には根拠があるようで、検疫法で、こうした事態の時に感染のおそれのある者を隔離することを「停留」と呼んでいるらしい。

「隔離」は感染者本人であり「停留」は感染の恐れがあるもののようだが、これは海外渡航で、「船」が交通の主体であった時代のものであり、船だからこそ丸ごと桟橋に「停留」させることができるという意味合いが強い気がしませんか。役人が法律に基づいたこうした言葉を使うのは仕方がないとしても、メディアとしてはもっとかみ砕いて伝えるべきではないのか。「停留」という言葉を役所が出してきたのをいいことに「隔離」と書いて批判されることからの逃げとして「言い換え」に使っているような気がしてならない。

「隔離」と「停留」の間のいい言葉はないですかね。「接触制限」とか「観察措置」とか。メディアはもっと智恵を出すべきではないか。
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