(皐月廿弐日) 野球が僕にくれたもの  スポーツ

この前の木曜日に梅田の阪急グランドビルで、野球解説者の片岡篤史氏の講演会があった。これは日本証券業協会の後援でおこなわれた第6回KANSAI証券塾での催しだった。お仕着せがましい演題よりも気になるタイガースのことも聞けるだろうという人が多いせいか、それとも1万円台を回復した日本株の好調さを物語ってか、用意した席がなくなるほどの盛況だった。

さて客集めの片岡氏の講演だが、さすがに毎週土曜日に関西テレビでコーナーを持っている実力?のせいか滑らかな口調で話は進む。あまり野球を知らない方のために説明しておくと、片岡氏は京都出身でPLに入学、桑田清原の2年後輩である。同期には中日の立浪、元横浜の野村、元読売の橋本など蒼々たるメンバーで春夏連続優勝したチームの4番打者である。その後同志社に進み、日本ハムファイターズに入団した。

ケガの多い選手だったがファイターズの4番を任され、あの松坂がプロ初登板した試合で見事な高めのくそボールを空振りして、松坂にプロとしての自信を持たせたのである。ちなみに後にイチローを3三振させ「自信が確信になった」と有名なフレーズを残したが、この「自信」は片岡から奪った三振だと力説するのは片岡御本人である。

2001年FAで阪神に移籍するのだが、ここで阪神の監督が野村から星野に代わるのに時間がかかり、入団が遅れたのだが、巷で言われたのは年棒の引き上げを狙ったと言われた。(本人は否定)ところが、2002年シーズン初め怪我をし、移籍1年目は棒にふった。ここでも多くのファンレター?で「金返せ!」という阪神ファンの熱い声の嵐に見舞われたのである。

それでも生え抜き選手でもないのに引退試合をしてもらうなどチームに愛された選手だった。しかし、この引退試合も前日に福留の活躍で中日が優勝したことで可能になったので、片岡もいい後輩を持ったものだ。まあ、福留もMLBへ行くなど完全に彼を超えていったのはご愛嬌か。

彼は一人っ子で、PLに行くとき、ファイターズで東京に行くときに親の顔が浮かんだそうだが、最初から彼もエリートではなく、次第に頭角を現していく選手だった。阪神時代も貴重な代打の切り札だったし、その愛される人柄が今の彼の立場を物語っているのだろう。ちなみに今年の阪神には期待が持てないと言っていたが、チームに若い力が見えないので、これから先がもっと心配と高齢化を述べて、次の証券専門家にバトンタッチしていくなど、これもお見事。久しぶりの眠気のない講演だった。
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