(卯月廿参日 下弦) 55歳の死  

1975年3月のことだった。山口市の惣野旅館の大広間は受験日の前日にしては異様な雰囲気に包まれていた。大阪府立体育館でおこなわれていた大相撲春場所の千秋楽に酔いしれていた。かたや大横綱の地位を固めつつある北の湖、こなた悲願の優勝にあと一歩とした大関貴乃花。優勝決定戦の末(私の記憶で確かそうだったはず)西土俵に北の湖を押し出した貴乃花の頭上はすでに座布団が舞っていた。実弟に優勝旗を手渡す鬼の先代若乃花の目は潤んでいた。

国立一期校(といっても分からない世代ばっかりか)の受験に失敗した田舎高校生は、これまたあまりの田舎くさい山口という町にうんざりしながら、翌日の試験を前に心は沈んでいた。父親の事故で生計もままならないのに、浪人どころではないのだが、どうしても都会の大学に行きたいという夢を抱いていた。二期校でたまたま選んでいた山口大学は彼にとってはたんなる滑り止め以外の何物でもなかった。

そんな気持ちを共有していたのか、旅館の同部屋の人間はそれぞれ個性的でとても受験生とは見えず、相撲を見ながらビールを飲んでいる者もいた。それでも悲壮感溢れる貴乃花の姿に、「判官びいき」という日本人の琴線をふるわせる何かが同化したようだった。優勝を決めた瞬間、旅館の部屋は歓喜の渦が舞い上がっていた。小兵の貴乃花の夢がかなったことを我がことのように喜び合った。

次は横綱かといわれたが、太れない体質が禍し、正攻法の攻めから怪我をすることが度々あり、ついに頂点にはたどり着けなかった。しかし、その息子達は親が出来なかった史上初めての兄弟横綱を張り、相撲人気を大いに盛り上げた。

ここ数年は女将さんとの離婚など何かと暗い話題しかなく、栄光の時代を知る我々からみると寂しい限りだったが、予期していたとはいえ、こうも早く死を迎えるということは本当に残念の一言に尽きる。北の富士戦の「かばい手」など驚異の粘りで相撲界の常識を覆した男も病には勝てなかった。合掌。

追記
先日定年を迎えた大鵬親方の最後の対戦相手は先代貴乃花、その貴乃花の最後の相手は千代の富士、さらに千代の富士の最後の相手は息子の貴花田。歴史というのは輪廻のようで摩訶不思議である。
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