(皐月壱拾五日 望) ドイツとユーロ  経済

1980年代、低成長と高失業率にあえぐ欧州は悲観一色だった。それがソ連の崩壊による東西ドイツの統合によって一変した。併合負担や当初のデフレ圧力が心配されたが、ドイツは実体経済中心の経済運営を貫き、中東欧のフロンティアが量的拡大となり、ユーロの誕生は為替リスクからの解放となった。

しかしこのユーロ体制が中東欧や南欧諸国の信用力を高めたことがユーロの悲劇の始まりでもあった。信用力が高まれば域内の政府や民間への貸し手の規律は当然ゆるんでくる。高いレバレッジ、すなわち借金経済がビルトインされ、単一通貨と金融政策の下でインフレ率などの域内格差が拡大したのは必然だった。

リーマンショックの金融危機のあとにギリシャ危機が現れたのは自然の摂理だったわけだ。そして金融危機対応の金融・財政政策の乱用で弱い輪から綻びが露呈し、いまやドイツは債務国の救済と国内の金融、財政立て直しの板挟みとなっている。政府が一旦肩代わりした民間債務の負担は、時期を経て再び国民に転嫁され、経済は長期低迷するという1980年代の繰り返しとなろうとしている。

1990年台にユーロがユーフォリアになったように、今度は新興国がその立場になろうとしている。しかしどこかで歴史は繰り返すことになる。
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