(皐月参拾日) 山一證券興亡百年史  

冠につけられた言葉が「滅びの遺伝子」ということから、現代版「平家物語」という体裁を掲げているこの本は、昨年文藝春秋社から刊行され、著者は元日経新聞証券部長であり、日経BPの社長などを歴任した鈴木隆氏である。

日経の重鎮である鈴木氏が日経からではなく、文春から書き下ろしたこともあり、内容は戦前戦後の金融界、そして政治も含めて舞台の裏を抉ったものである。日本で初めて東京帝大卒の社長を擁いた山一は、カリスマ太田収の下でトップに君臨した。しかし、その手法は創始者とは全く異なるものであり、野村證券の始祖に近いものがあった。遺伝子というかDNAがねじれていくように、青酸カリをあおって投機戦の始末をつけた太田は、坂本竜馬を暗殺したといわれる見廻組の佐々木只三郎の血を引いているらしい。

その太田の後輩である大神も旭硝子の仕手戦では勝利したものの、40年不況には勝てず私財を投げ売り、山一の社長の座を追われた。再建屋の興銀から日高輝が乗り込み、政府の支援もあって山一はあっという間に蘇った。そこでプロパーの植谷にバトンタッチされ、80年代のバブル時代を迎えるのであった。日高会長、植谷社長、横田副社長というのが、私が山一に入ったときのメンバーである。

当初広島支店に在籍していた時は、若かったのもあったし、情報が入らないこともあって、目先の自分の仕事しか頭に無かった。ところが4年目に大阪に転勤になって、駐在の副社長や大阪店長など役員を目の前にしたが、その魑魅魍魎たる社内権力闘争は凄まじいものだった。この本には無いが、堂々と社内の女性を愛人にしていた輩もいた。法人の山一ということで事業法人の天狗振りは酷いものだった。87年に私が外資に転職した後もそれは何も変わらなかった。利回りを握っているのであれば誰でも巨額な資金を提供することを、さも自分の実力のように声高に叫ぶ同期の連中を蔑んでいた。

山一をやめて5年ぐらい経つと、もう役員の力関係もわからなくなり、横田の後は行平、三木と予定通りの社長交代があったが、特に興味を持たなかった。しかし、この本にもある成田副社長だけは印象に残っている。ダンディなその姿から自殺するなどは想像もしなかった。これも例の三菱重工CB事件だが、本以外にも親族にそのCBを購入させ、利益を掠め取っていたのは私の斜めに座っていた次長だったという話もあった。でも社内処分は軽く、すぐに復帰して何事も無かったように振舞っていたのには呆れるばかりだった。

確かにいろいろな原因があったと思うが、人材が資源の証券会社なのだから、崩壊の原因は人間にある。責任ある立場の人間も悪くないといわれた社員もただ追従の徒だったといえば厳しいだろうか。
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