(葉月八日) 死刑判決  

奈良の女児誘拐殺害犯である小林薫(36)に死刑判決が下った。しかし、この男が死刑でなければ誰が死刑になるのだろうか。

この事件や広島のペルー人による女児殺害など悲惨な事件が相次ぎ中、成人の死刑判決は複数名を殺害しないと下さないという呪縛は、アムネスティという内政干渉団体によって、死刑廃止運動が日本でピークを迎えた1979年から84年にかけてのことで、「少年なら4人殺してようやく死刑」という狂気の最高裁判決がきっかけだった。さらに裁判所は少年に5割引をする慣わしなので、「成人なら2人殺してようやく死刑」となっていたわけだ。小林薫被告に死刑判決が下ったのは画期的ではあるものの、これまでが異常だったのである

だいたい最初から死刑を回避してしまうと、どんなに凶悪な殺人を犯そうと、国は膨大な税金を投じて彼の命だけは保証し続けると宣言したことにならざる
をえない。加害者には膨大な税金を投じて衣食住を与えながら、被害者の葬儀代すら国は負担しないばかりか、自宅で被害者が殺されたときの血痕鑑定後の畳や床の復元すら一円も負担しない。

殺された事実は変わらないのに、なぜ犯人の生い立ちや殺した総人数やあるいは20歳か19歳かで罪の重さが全く異なってしまうのか。情状酌量という概念が被害者遺族に説得的であった例があっただろうか。そもそも覚醒剤を打っていたら死刑を無期懲役に減じる日本の裁判所を、なぜ異常だと専門家は誰も指摘してこなかったのか。

このたび小林薫に下された奈良地裁の判決文には、《被害者の数だけをもって死刑を回避すべきとは言えない》とある。おいおい被害者の数だけをもって死刑を回避してきたのは、お前ら裁判所ではないか。性犯罪常習者であり幼女への強制猥褻と殺人未遂さえ犯していた小林薫に対して、《被告人はいまだ22歳の若年であって、本件を反省し将来の更生も誓っている》と断言した大阪地裁(91年当時)の3人の男性裁判官―篠森真之、久保雅文、佐々木亘の各氏は、無責任な判決を下したことに対して、何か反省するところはないのか。
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