(睦月壱拾八日) 再考 宮澤喜一  

元首相の宮澤喜一氏がライブドアの堀江社長にエールを送っている。オヤジ世代への若者の挑戦という極めてシンプルなスタンスからのようだ。この御仁は永田町というドロドロした世界では浮いた存在というのは昔から云われてきたことだ。サンフランシスコ講和条約で随行員として出席し、戦後の保守本流のなかでその存在感は知性では一目置かれたが、権力への淡白さが自民党の中では派閥の長であっても浮いた存在だった。

宮澤氏が内閣不信任案を可決されて最後の自民党単独政権の首相となったのは1993年だった。その前年夏には、株式市場の急落で静養先の軽井沢から急遽戻って、緊急株価対策を発表した。宮澤氏というとこの夏の急落が思い出される。実際この92年の安値が98年までボトムになっていたはずである。その間には住専問題をはじめとする不良債権が緊急の課題となったが、結局は先送りされて巨額の公的資金が投入される結果となった。初期の段階で抜本的解決策がなされていれば、100兆円をこえる不良債権の山はなかったかもしれない。彼はこの不良債権処理問題に対してリーダーシップを取れなかったことを悔いているのだろう。中曽根氏と同時に議員引退をしてから、自由になった立場もあるが、踏み込んだ発言をしているのはそのためではないだろうか。

あの時ああすればよかったというのは結果が分かっている将来から見た話であって、結局はそのときの決断力が無かったという事実をぼかすことにもつながる。田中角栄を頂点とする利益誘導型政治家と一線を画す宮澤喜一の政治家としての生き方が引退後に具現されてもなあと思いつつ、オヤジ世代への冷静な忠告を発し続けてもらいたいものだ。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              
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