大事を取って安静にしていようと思っていたつもりが
身体が動くのでついつい門外不出の桜田淳子の曲を聴いて怠けて楽しんだ。
結果は今日になって地獄の苦しみを味わってしまった。
いわゆる世に言う『安静の怠獄』
しかし夕方にはなんとか治まった、これって変?
これは『桜田門外の変』
さて冗談はさておき
本当に辛かった。
外に出ないつもりだったが、どうしても用事があって
銀行と郵便局に出掛けた。
立っているのがやっとのふらふら状態
熱は無い、計っていないが多分無いと思うが
高血糖の状態に似てやる気が出ない。
仕方が無いので横になってうつらうつらした。
夕方以降もその症状も変わらない。
実はどうしてもやらねばならない事がある。
眠気はさほどないので気分転換を図って早く終えたい。
心身ともに参ってしまった。
それにしてもくしゃみが数階でた課と思うと
鼻水もどうにも止まらず
あれよあれよと思っているうちに本格的に風邪の症状。
ホッカイロを背中と腰に1個ずつ貼り
酷くなる前に医者に行くなどして盤石の構えで備えたのだが
自然の流れには逆らえなかった。
薬呑み呑み、酷くならないようにして
病が去っていくのを待つしかないのだろうか?
昔は風邪をひいてもこんなに酷くはならなかったのに・・・
どうやら病原菌に対しての抵抗力が弱くなってきているようだ。
一度罹ってしまうと手が付けられない速さで進行している。
常日頃鍛えてきたのは何だったのか?
喉を酷使続けて来たのが引き金か?
【安政の大獄】
安政の大獄(あんせいのたいごく)は、安政5年(1858年)から安政6年(1859年)にかけて、江戸幕府が行なった弾圧である。当時は「飯泉喜内初筆一件」または「戊午の大獄(つちのえうまのたいごく、ぼごのたいごく)」とも呼ばれていた。
江戸幕府の大老井伊直弼や老中間部詮勝らは、勅許を得ないまま日米修好通商条約に調印し、また将軍継嗣を徳川家茂に決定した。安政の大獄とは、これらの諸策に反対する者たちを弾圧した事件である。弾圧されたのは尊皇攘夷や一橋派の大名・公卿・志士(活動家)らで、連座した者は100人以上にのぼった。
【桜田門外の変】
桜田門外の変(さくらだもんがいのへん、正字体:櫻田門外の變、正仮名遣:さくらだもんぐわいのへん)は、安政7年3月3日(1860年3月24日)に江戸城桜田門外(現在の東京都千代田区霞が関)で水戸藩からの脱藩者17名と薩摩藩士1名が彦根藩の行列を襲撃、大老井伊直弼を暗殺した事件。

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