2017尾瀬紀行(5)湿原
昨日の雨が嘘のよう
花火を打ち上げたような空
胸にしみる 空のかがやき
今日も遠くながめ 涙をながす
悲しくて 悲しくて
とてもやりきれない
このやるせない モヤモヤを
だれかに 告げようか
「悲しくてやりきれない」(かなしくてやりきれない)は、
ザ・フォーク・クルセダーズの2枚目のシングルの表題曲。
1968年3月21日に東芝音楽工業 (キャピトル・レーベル) から発売。
2枚目のシングル曲として予定されていた「イムジン河」が発売自粛となったため、それに代わる曲として制作された。
加藤和彦が「イムジン河」のコードを反対からつなげて作ったとされる[1]。当時パシフィック音楽出版(現フジパシフィック音楽出版)会長だった石田達郎から「イムジン河」に代わる新曲を急遽作曲するよう強要され、会長室に3時間缶詰にされたときに作ったものである 。
加藤曰く「最初はいろいろとウイスキーだとかを物色していたが、残りわずかという時間になって、そろそろつくらにゃ、という気持ちで譜面に向かった。
「イムジン河」のメロディを逆に辿っているうちに、新たなメロディがひらめいた、実質的には15分ほどでできた」としている。
ただし、「「イムジン河」のコードを反対からつなげて作った」という点に関して加藤本人は否定している。
これに関してはTV番組 で、加藤本人が「某放送局の社長室みないなところに、ギターだけ渡され、3時間で作曲を依頼され、部屋に鍵をかけられて軟禁状態だった(笑)。
アイデアも湧かず1時間が過ぎ、とりあえず、イムジン河のメロディーを譜面に書き、音符を逆に辿ってみたところ、モチーフが出てきて、ギターで10分間ほどで作曲した。」と、語っている。
さらに「その出来立ての曲を持って、そのままサトウハチロー宅へタクシーで向かった。本人とは初対面だったが、とくに曲の打合せはしなかった。1週間ほどで詞が自宅へ送られてきた。歌詞を見ると『悲しくてやりきれない』…。こんな詞で、いいんだろうかと思ったが、歌ってみると、曲に語句がぴたっと合っていて驚いた」と告白している。
B面の「コブのない駱駝」は後に作詞家としても大成する北山修の初の作詞曲である。また、ビートルズの影響を受けた加藤がわざわざシタールをスタジオに持ち込み演奏、イントロでその音が聞ける。
白い雲は 流れ流れて
今日も夢はもつれ わびしくゆれる
悲しくて 悲しくて
とてもやりきれない
この限りない むなしさの
救いは ないだろうか
深い森の みどりにだかれ
今日も風の唄に しみじみ嘆く
悲しくて 悲しくて とてもやりきれない
このもえたぎる(注) 苦しさは
明日も 続くのか

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