若い頃から自分で云うのも何だが、周囲を水面下でまとめ何とかその場を繕ってきた。会員を一本ずつ釣り上げ30人ほどまでの団体を作ったこともある。
最近はと言うと『自分の正義を通す』傾向にあり、合わなければ無理して同調はしない。
その理由は『コロナ』である。
歳も重ねた事もあるだろうし、様々な病気を経験しているからでもあろうか?
穏和で仏で通っていた自分でもやたら短気になってきた。でも怒るにもそれなりのポリシーというか正論?がある。60歳に人生二度目の大病をし、これも運命かまた助かってしまった。それでかなり落ち込んだが、大学の後輩に助けられた。生き方そのものを学んだ。それからは、不肖私自ら教壇に立って仕事や常識色々時間を割いて教えている。編集途中になっているが、国語、社会、数学、理解、英語(現在、外人と英語で稽古中)、その他雑学。
仕事の上でも若い世代との交流を図っている。事業継承は必要不可欠、昔はそれほど力を入れなくても良かったが、これがかなり難しい。M&Aというか、優秀な経営者でも意外に後継者がいないのである。
会社組織となれば、人間には寿命の限界があるし、正確な判断が出来るのはせいぜい70歳くらいだろう。自分のことは棚に挙げても、否応なしにこの問題に日夜付きまとってくる。もはや避けては通れないし、誤魔化しも出来ない。それを若い世代に伝えてはいけない。病気のため、通院の時間も色々考えている。とにかく若い世代を
何とかするのが今の職務と考えている。残り何年生きられて何年働けるかは分からないが、老体に鞭打っても前に進む糧となっている。
3年前の2019年、退院してから、健康に自信を失くし、娘が相次いで嫁に行き、仕事もコロナで業績が落ち込んできた。5月の連休、手に入れたWALKMAN、これに曲を片っ端から入れて行き楽しみを覚えた。続けていた尾瀬行き、会社の京都旅行にも参加した。図に乗って、東京・盛岡・一ノ関の旅行も企画実行した。
秋は、台風19号の中の立山黒部アルペンルート旅行、翌月、大学の後輩たちと麻雀🀄対抗戦、12月は家族を連れて冬の函館旅行、翌年1月、大人の休日倶楽部会員パスを使っての同窓会旅行、伊豆は熱海温泉♨️、そこからの仙台に4人を加えて計8人で大宴会そしてカラオケ。
その直後、コロナがジワジワと蔓延して現在に至っている。
今年が行動の年かどうか分からないが丸二年我慢し、体力が辛うじてあり、気力がある内にもう一度試してみようと思っている。
夢は枯野を駆け巡る
僕の細道
今月手始めに尾瀬から始め
新潟に一つ
北へ一つ
来月は会津大内宿に呼び
夏の尾瀬を二度ほど
ワタスゲとニッコウキスゲ
8月は休んで
9月か10月に
一度は諦めかけていた北海道の絶景をこの目でみたい
尾瀬とコキアもかけてみたい
あくまでもコロナが収まっていることが条件だが
従って大人数の集会、宴会は避けた方が良いだろうか?

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