2018/11/9

書くのが遅くなってしまったが、  音楽

この間、キーシン、サッカーの話題で、書く機会がなかったけれど、

MET「西部の娘」は無事終了した。

(ヨナス・カウフマンさんについて、記事の最初の方に名前を書くと検索で引っかかってしまい、私のつたない文章が世の目に触れてしまうのよね。ちょっと自意識過剰だけど、とにかく恥ずかしいので、あまり最初の方には書かないようにしたい)

METの動画も見られる。「やがて来る自由の日」


ウィーンの「西部の娘」の時より、思い入れたっぷりに歌っている。ルキッチさん、歌に入ってくるのちょっと早い。もう少し、ほんの少し、この歌の余韻を感じさせてほしい。

この舞台の批評は、いつものようにiltrovatoreさんが訳してくださっています。
https://iltrovatore1853.jimdo.com/評論-記事/評論-西部の娘-met/

ありがとうございます。

「彼は映画に出てくる粋なカウボーイのように動き回り、笑顔を浮かべ侮辱を軽くいなす。この所作はステレオタイプのタフガイを演じるよりも彼を危険な男に見せていた。つまり、予測しがたい複雑な男と言うことだ。彼は自信に満ちて落ち着いている。」

とかね、もう期待が高まる。

この「西部の娘」ライブビューイング、日本では12月7日から13日まで、上映される。

今はバイエルンのオテロの稽古中。

この舞台も見に行く日本のファンの方沢山いるのだろうなぁ。私はネット中継か(うまくつながると良いが)、NHKかクラシカジャパンが放映権を買ってくれるか、ブルーレイを買うか、しかない。

でも楽しみにしている。

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2018/11/8

キーシンの動画  音楽

キーシンの6日サントリーホールでのリサイタルも大興奮だったようだ。

サントリーホールで聴いた方のtweet


みなとみらいホールでのキーシンリサイタルの感想も同じように、


そうなんだよねぇ。

ところでキーシンの動画をYoutubeで検索した。

ラフマニノフので私が唯一知っていたのはこの曲です。

プロムスでの演奏。

みなとみらいで聴いたのはこんな超スピードではなく、もっと味わいがあった。ラフマニノフ風メロディがあって、(って当たり前だけど、聴きなれた音があったので)。如何にもロシア。この曲の時には涙が出た。

アンコールの「英雄ポロネーズ」



これを生で聴いたんだよ!この動画でも聴衆は熱狂しているけど「みなとみらい」でもそうだった。

「低音の地鳴りような感じは生で聴かないとわからないね」と娘。そうなのよ。空気を震わすあの音。コンサートホール全体を満たしてしまうあの音、響き。あんなに速くても一音一音がクリア、和音の連なりでも音が重なることがない。

はぁ、またリサイタルに行きたいなぁ。ピアノコンチェルトは聴くけれども、また、ピアノだけのリサイタルに行きたいのだ。次はいつ来てくれるのかしら。次、来日してくたら、首都圏のコンサートは全部行こうかと思う。


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2018/11/7

川口選手引退  サッカー(その他)

川口能活選手が引退を発表した。川口選手は思い入れのある選手だった。

初めて見たのは高校サッカー。準決勝のPK戦。

清水商業の監督が「ウチには川口がいるから全く心配していなかった」と試合後言っていた(と思う)。

そして、優勝。初めて見た時から、かっこいい選手だなぁ、ハンサムだなぁと思った。

マリノスに入団してくれたのが嬉しかった。当時、日本代表の松永成立が正GKだったので、レギュラーを取るのは難しかろうと思っていた。しかし、





そしてマイアミの奇跡。川口選手カッコ良かった。その時のサッカー誌は取ってあるよ。
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1997年フランスW杯アジア予選の激闘。1998年フランス大会の惨敗。

2000年マリノス優勝の時、新横浜駅前での祝勝会を見に行った。そのことを日記に書いてあるかと思ったら書いてない!なんで?

2000年のガンバ戦は良く覚えてる。マリノスは退場者2人で9人で闘った。稲本のPKを川口が止めた。俊輔のスーパーゴールが飛び出した試合だった。

2000年アジアカップの日本は強かった。
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新聞の切り抜きも取ってある。俊輔FK⇒名波ミドルシュートはすごかったね。

2001年の移籍前の最後の試合。当時の左伴社長が「神がかり」と書いたパネルを渡した。あの残留争いの苦しい時期に川口はポーツマスへ行ってしまった。

そうそう2001年のファン感謝デーでは酔っぱらって「TSUNAMI」を歌ったっけ。面白かった。

2001年コンフェデも川口が正GKだったっけ。

でも、2002年日韓W杯は楢崎が正GKだった。

2004年のアジアカップ、優勝。PK戦の時の川口はまさに「神がかり」だった。

私のこのblogは2004年からだ。「川口能活」で検索すると3件かな。(ちなみに「川口」で検索すると55件)。

2005年、日本に戻ってきたけど、ジュビロに入団。私はかなりガックリしている。俊輔とのPK戦は神経戦だった。1勝1敗くらいかな。

2006年ドイツW杯、2010W杯南ア杯にも選ばれてるけど、あまりblogに記事はない。

2010年南アフリカW杯では苦境の俊輔をとても心配していたという記事は読んだな。

岐阜時代や相模原時代はあまり動きをフォローしていない。

とにかく、私が日本のサッカーに関心を持った時期から南アジアW杯まで、すべてに中心にいた選手。マリノスで活躍して、日本代表として活躍していたから、いつも応援していた。

引退は寂しいけれど、今はとにかく、「お疲れさま、ありがとう!」と言いたいです。
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2018/11/6

印象薄い東京戦  サッカー(マリノス)

3日文化の日。娘が2日キーシンリサイタルのために帰宅していたので、このFC東京戦に一緒に行った。

娘にとっては今年マリノス初観戦。

遠藤がケガでイッペイシノズカ、大津が控えで喜田、の他はいつもと同じ。
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ビッグフラッグ、ビッグユニ、いつもありがとうございます。

27日に行われたラグビーの試合のせいか、芝が荒れていた。

試合経過は公式HP
https://www.f-marinos.com/match/report?id=303

(ホームページが新しくなって、見やすくなったのかもしれないが、試合経過をリンクしようとするとかなりスクロールしなくてはならず、これ不便だ。前のようにこじんまり一覧表の方が良かった)

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キックオフ

試合を振り返っても、マリノスも東京も取り立てて印象に残るものがない。

ウーゴが倒されても倒されてもファウルを取って盛らず苛立っていたこと、審判への文句が多かったこと、東京の選手と何度も揉めたことくらいか。

仲川くんの惜しいシュートがあったな。大体、左からの攻撃ばかりで、右の仲川君へ出るボールが少なかった。

東京の得点はCKから。何故にあんなにドフリーだったのチャン・ヒョンス。守備に大きな穴。
(チャン・ヒョンスはレポート不正で韓国代表永久追放になったとか。プレーで汚名返上か)。

後半になっても、相変わらず。

あ、ゴールかと思ったのはオフサイドで取り消し。これくらいかな惜しかったのは。

マリノスはカウンターもなく、セットプレーでも得点の匂いすらせず、見せ場なく漫然と時間が過ぎて行った。

飯倉が目立ってた。相手のFWが執拗にプレッシャーをかけてきたこともあるし、守備に追われたこともある。

審判への抗議は多かった。ファウルされた時、主審はアドバンテージを見ずにプレーを止めることが再三あった。これはちょっとなぁと思った。

それ以外は抗議することばかりに気持ちが言ってしまっていたような、もっと熱くプレーに集中しようよ。

東京には永井がいるのね。永井には名古屋時代痛い目に遭わされたことが多かったから、交代で出て来た時、すごく嫌だった。まぁ今回は点を取られないで済んだけれど。

ゴール裏も少し疲れがあるのだろうか。沈黙の時間が時々あって、FC東京の、例の「♪花のトーキョー」、「コーヒールンバ」なんかが延々聞こえてきた。

昔から東京の応援は相手をおちょくるようなものが多いから負けちゃいけない。

私は前の日の「キーシンリサイタル」で拍手しすぎて手の平が痛かったが、それでも手拍子は一生懸命したよ。だけど、バックスタンドでも手拍子は少なかった。野次すら少なかった。

全体におとなしかった。ルヴァン杯の虚脱感があったのだろうか。

周囲の人はガンバ戦で完封負けした時のショックをずっと引きずっていると言っていた。そうなのかな。

試合開始頃から雨が降ってきた。やがて晴れて、陽射しがまぶしかった。変な天気。
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久しぶりのマリノス観戦の娘は「イニエスタ観に行った神戸-鹿島戦、イニエスタは出場しなかった。あの試合に比べれば応援するチームの試合だから、面白かった」と言ってた。

だけど、選手の特徴がわからなくて、誰が誰やら?とのこと。そうだね。昔は、俊輔はもちろん、兵藤、齋藤、金井、みんな走り方ですぐわかったものね。中澤も中町も出てないし。

なんか、マリノスが残留争いにいること、監督選手、観客は分かってるのだろうか。なんか雰囲気が温い。斯く言う私も温いかも。マリノスへの思い入れが少なくなっているのが理由なんだけれど。

あ、選手挨拶の時はかなり厳しい声が飛んでいた。わかるけど、もっと応援の声や手拍子を届けようよ。

他チームの事も気になり、時々試合経過を見ていた。磐田が0−2で負けていたので心配していたら、アディショナルタイムに逆転してたじゃないか。3−2で勝ってた。ちょっとホッとしたりしている。

日産スタジアムの外では「新横浜パフォーマンス」で、露店が軒を連ね、ステージでは和太鼓の演奏が行われていた。

観客が動員できそうなときはいつも負けるね。

マリノスは九州2試合で勝って、残留を決めて、最終C大阪戦には中澤選手に出場してほしい。
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2018/11/5

キーシンリサイタル  音楽

キーシンが2014年以来4年半ぶりに来日した。来日すると聞いてすぐにチケットを取った。

ショパンにシューマン、ラフマニノフなら、予習しなくてもいいかな、と思っていたら、知っていたのはラフマニノフの1曲だけだった。これ大失敗だったな。

クラシックの初心者なのよね。

みなとみらいホールはほぼ満席。女性が多い。

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今回の曲目
ショパン:夜想曲第15番ヘ短調
ショパン:夜想曲第18番ホ長調
シューマン:ピアノ・ソナタ第3番ヘ短調

ラフマニノフ
10の前奏曲 第1、2、3、4、5、6、7番
13の前奏曲 第10、12、13番

キーシンはにこやかに登場。以前はアンコールまでにこやかな笑顔を見せることがなかったように思っていたので、意外な印象を持った。

ショパンは静かに始まった。

みなとみらいホール「試聴ラウンジ」「キーシンの音楽」で聞いた「最近は、音の少ない、静かなゆったりした曲で深く豊かな音楽を響かせる」と言う言葉を噛みしめた。

シューマンは、強靭で多彩な音、華麗な演奏だった。

どうしてあんなに速く、強く、激しく、濁りのない、あるいは繊細で、豊かな音を弾くことができるのだろう。

ホール中に響き渡る音、ピアノはオーケストラと同じだなと思う。

シューマンの時に前の女性はハンカチで涙をぬぐっていた。わかるよ。

シューマンがクララに恋していた時の曲だそうで、若々しいような気がした。

ラフマニノフ。

もの凄く技巧を要する曲ばかり。知っていた唯一の曲はもう胸がいっぱいになってしまった。ちゃんと勉強してきたら、他の曲でももっともっと感動できたのじゃないかなと思う。

キーシンのピアノに向かう真摯な姿勢、作曲家に表現したかったものを極限まで追いつめて理解して演奏するという姿勢というのが、私でもわかる。

今、プログラムを見たら、真嶋雄大氏が
「古来より演奏家は作曲家の意図を十二分に汲み取り、作品の成立動機に想いを馳せ、その背景を俯瞰し、熱い共感を持って再現するのが常識とされている。つまり、何より作曲家のメッセージが重要とされる。

しかしながら、ひょっとするとキーシンは作曲家の音楽センスすらも凌駕し得る圧倒的な境地に達しているのではないだろうかと書いている。

そんな境地に達しているピアニストは他にいるのだろうか。現在最高峰の巨匠だ。

とにかく圧倒的な技術も、派手な「こけおどし」ではなく、内省的、真摯に聴こえる。「彼には『自分はどこから来たか、どこへに行くのか』という問いがいつもある」という言葉に納得する。

ラフマニノフが終わって、ふぅと息をついた。はぁ〜。

日本の聴衆はすぐに「ブラボー」と言わない(もちろん言う場合もあるけど)、スタンディングオベーションも少数。でも拍手は盛大だった。頭の上で拍手している人も多かった。2階サイド席の女性たちは立ち上がって拍手していた。

アンコールは

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優しいトロイメライ。2曲目、最初、現代音楽?何だろうと思っていたら、キーシン作曲の「タンゴ」だったんですね。本人楽しそうに弾いていて、最後の音の後会場からほほえましい笑い声も起きた。

そして最後が「英雄ポロネーズ」!

あれだけ、重い、長い、難しい、曲々を弾いてきて、最後に英雄ポロネーズ?!

いやぁキーシンの英雄ポロネーズを聴けると思ってなかったから、もう嬉しーい。会場全体がワクワクという感じだった。

あの高音の和音の連なりもピアニストによっては「どっこいしょ」という感じなのに、もちろん軽々。ステキ〜。

終わった途端、今度こそ会場総立ち、スタンディングオベーション!お隣のお歳を召した男性も立ち上がっていた。熱狂。

二階席の女性たちは両手を振って、キーシンにアピール。拍手だけでなく手を振る人が多かった。

キーシンは嬉しそうで、幸福そうだった。私も幸せだったよ。2011年のNHK音楽祭のキャッチフレーズは「孤高の天才」だったが、もう孤高とは言わないと思う。

1階に下りると楽屋口からホール入口まで長蛇の列。CDかプログラムを買うとサインしてもらえるらしい。今から並ぶとサインもらうまでに1時間くらいかかると聞いて諦めた。キーシンは1時間もサインしたのだろうか。大変だなぁ。

ラフマニノフが終わると席を立つ人がいたが(アンコールが始まると扉の前に立っていた)、その人たちはサインしてもらうためだったのね。前の方に並ばないと最終列車に間に合わない場合もあるし。

それにしても、アンコールのトロイメライや英雄ポロネーズはメロディも演奏ぶりもしっかり思いだされて、今でもウットリするのに、本編の方は知らない曲ばかりで、漠然とした印象しかない。もう一度聴きたいと思った。追っかけをしたいとすら思った。

ホワイエでは6日サントリーホール、14日東京芸術劇場のチケットを販売していた。購入する人たちもいた。う〜ん。

いいのだ!チケット買わなくても。

私は27日サントリーホールでバイエルン放送交響楽団とのリストピアノ協奏曲を聴くから!!

ヤンソンスが病気でメータに指揮が代わったけれど、このチケット買っておいてよかった
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2018/11/4

(6)おまけ  

新幹線に乗るまで時間があったので、後楽園へ行った。

明るくて広々した良い庭園ですね。

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庭園の向こうに岡山城

菊花展が開かれていた。秋の日本庭園は菊。菊に決まっているよー。鎌倉のお寺にクリスマスローズがあると「?」と思ってしまう。

こんな列車を見た。
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アンパンマン列車。高知県まで行くらしい。

鉄道網は、7月の豪雨でまだ不通の所もある。一刻も早い復旧を願う。

今回の旅行のお土産はもちろん、広島の「もみじ饅頭」、岡山の「きび団子」(五味太郎さんイラスト)、倉敷「むらすずめ」でした! 食べ物ばっかり。

そうそう、広島お好み焼きは食べられなかった。駅の店は行列だった。残念。

備前焼なんかも憧れだけどねぇ。もう陶磁器は買わないのだ。

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2018/11/3

(5)牛窓  旅・散歩

山陽方面に行くなら、「牛窓」に行ってみたかった。

朝鮮使節使の寄港地として有名だ。

10月28日は牛窓の秋祭りがある。その日は避けて、翌日に行った。

赤穂線の邑久駅下車。バスで行く。乗客は老夫婦二組。つまり私たちともう一組だけだった。途中の乗降客なし。田園地帯を抜けていく。稲穂の実る田んぼとキャベツ畑と。

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海遊文化館。明治20年に建てられた元警察署の建物。

お客は私たちだけだったので、係りの方がとても親切に説明してくれた。

秋祭りの「だんじり」展示、「秋祭り」のビデオ上映、そして朝鮮使節使の展示がある。

秋祭りはお神輿と5代の舟形だんじりがでる。牛窓は木造船の造船で有名だったそうで、だんじりも舟形だ。

秋祭りではだんじりを引いていた若者たちが最後は酔っぱらって海に飛び込んだりして大変だったそうだ。「ハロウィン」みたいですね、と笑った(渋谷の大さわぎがニュースになってた)。

お祭りでは小学生が活躍する(唐子踊りなど)のだが、今は子どもが少なくなって伝承がなかなか大変なようだ。

朝鮮通信使については、対馬に行った時に少し勉強した。

街道を行く大名行列は「下へ下へ」で見物は許されなかったが、朝鮮使節使の行列は見物が許されたという。一行が通過するのに5時間もかかった大規模なものだったらしい。

牛窓は朝鮮使節使の風待ちの港。初めは本蓮寺、のち池田藩主の別荘に滞在したという。

その本蓮寺。室町時代の建物で本堂、中門、番神堂は国の重要文化財になっている。

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本堂。右手奥が番神堂
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三重塔
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中門。階段は傾斜が緩かったので、思ったより楽だった。ギンナンが落ちてた。
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境内からは海が見える。一番左にちらりと見えているのが前島で、順に黒島、中ノ小島、端ノ小島。

こんな小さな町に室町時代の建築があるなんてびっくりだ。それだけ栄えていたということなのだろう。

本蓮寺を下りて、唐琴通りを歩いた。

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牛窓文化館。元銀行の建物。

「御茶屋跡」前を通りかかると、小さな字で「cafe」と書いてあった。

夫が門を入り、声をかけると営業していますとのこと。

140年前の古民家をカフェ兼ギャラリーにしている。

入ってみるととても風情のある建物・カフェだった。

案内されたのは縁側。
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干し柿があって、石蕗の花が咲いていて、海が穏やかに光っていて、

小春日和、縁側で日向ぼっこしながら、老夫婦が並んでコーヒーをいただく。
なんて贅沢な時間だろう。のんびり、ゆったり。

この時が、今回の旅行で一番良かった。満ち足りた気持ちになった。

平和公園も厳島神社も倉敷も有名観光地だ。日本のみならず、外国からも観光客が来る。一度は行くべき場所だ。観光客が殺到するのは当然だ。

しかし、観光客の少ない静かな牛窓は本当に良かった。皆さん親切に話をしてくださった。

考えてみれば、新潟山形旅行の時も楽しかったのは村上市の呉服屋さん、酒屋さんと話をしたことだった。

地方都市を訪ねると、文化遺産を見ることと、それを守り続ける人たちとの話が何よりも楽しい。知らないことを教えてもらえるし、飾らない率直な物言いは本当に胸襟を開いて迎えてくれてるという感じがする。

でも地方の経済は厳しいそうだ。牛窓も少子高齢化が進む。お寺の維持管理も思うに任せない。

そういえば、想田和弘監督「牡蠣工場」は牛窓が舞台だった。

塩田だったところは大きなソーラー発電所になっているという。塩田跡地は鳥や動物の天国だったらしいが、そこを追い出されて町中に猪や鹿が頻繁に現れるという。

タクシーに乗ると運転手さんから「アベさんは大企業と金持ちと大都市を儲けさせたかもしれないが、地方なんかまったく恩恵がない」と怒りの言葉を聞く。

一方、観光地は外国人で持っているようなものなのに、「中国人がー」と差別的な言葉を聞く。牛窓からの帰りのバス、ベトナム人らしき若者たちへのバスの運転手の言葉はきつかった。


短い旅でも、今の日本を垣間見ることになる。
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