2008/6/17

散歩で出合った記念碑  旅・散歩

先日、野毛山〜藤棚商店街まで歩いた時に見かけた記念碑。

野毛山にある佐久間象山顕彰碑。
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横浜開港100周年を記念して建てられたと言う。もうすぐ150周年だから、約50年前か。

佐久間象山はペリー来航時、横浜にいて、幕府に対して諸外国との通商と横浜開港を強く推したと言う。横浜開港の父だね。

象山は、幕末物歴史劇では必ず出てくるが、自信過剰な嫌味な人物として描かれることが多い。

しかし、とにかく当時としては傑出した知識人だった。吉田松陰も彼の弟子。惜しいことに尊皇攘夷派に京都で暗殺された。視野の狭い頑迷な人々に、一歩先に世界を知った人々が無残に圧殺されてしまう例は象山に限らない。今もそうかもしれない。

数年位前だっか、彼の出身地松代を訪れた際、佐久間象山記念館に行った。驚くべき才能だと言うことが実感できた。

この時は、松代藩主・真田邸や真田宝物館、皆神山・大本営地下壕(戦争末期に東京の重要機関を移設するために作った地下壕)にも行った。この地下壕は戦争史跡の一つ。

松代というと、40年くらい前、群発地震で有名だった。あれは何だったのだろう。今はもうないのだろうか?

野毛山公園にはもう一つ中村汀女の句碑「蕗のたうおもいおもいの夕汽笛」がある。汀女は横浜に住んでいたことがあるので、横浜にちなむ句として、この句碑が建てられたようだ。

この句はあんまりピンとこない。「蕗の薹」が題材なのはいいけど。

汀女の句で好きなのは、有名な
「咳の子のなぞなぞあそびきりもなや」

その他に、
「引いてやる子の手のぬくき朧かな」
「外にも出よ触るるばかりに春の月」
「走り出て闇やはらかや蛍狩」

優しくてきれいな句だとおもう。汀女というと、あの白髪上品なお顔立ちと着物姿、意外な熊本弁の訛りある話し方が記憶にある。

野毛山公園についてはこちらが詳しい⇒横浜線沿線公園探訪・野毛山公園

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藤棚町の丘にあった「希望が丘高校発祥の地」の記念碑。

こんな所にこんな碑が?!と驚いた。希望が丘高校は今は相鉄線の「希望が丘」にあるはず。

希望が丘高校はそもそも神奈川一中、一高だった。沿革を見ると明治30年(1897年)に尋常中学として開校。その後神奈川一中となる。この間、名称は色々変わる。昭和20年5月空襲により校舎消失。六浦へ移転、昭和25年希望が丘高校と改称。26年保土ヶ谷区二俣川町に移転。現在地旭区南希望が丘。

神奈川(横浜)一中が、横浜駅からこんな離れたところの山の上にあったのかと、ちょっと不思議だ。明治の頃は、交通・生活の便がよかったのだろうか。教育にふさわしい地だったのだろうか?

ニ中だった横浜翠嵐高校も考えてみれば、横浜駅からやや離れた三ッ沢の山の上だ。似たようなものかもしれない。

横浜の県立高校は山・坂の上にあるのが多いような気がする。坂の多い街のせいだね。あ、臨海部は平坦地だ。一概にはいえないか。

散歩は、有名場所でなくても、思いがけないものに出合うから面白い。歴史や文学の勉強になるなぁ。
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