2011/10/26

ゴヤ展に行ってきた  展覧会

「まだ、あんまり混んでいない」と聞いたので、上野の西洋美術館「ゴヤ展」に行ってきた。

平日の午後。確かにそんなに混んでいなかった。人の頭越しに見るということもなく、「着衣のマハ」の前に一人、ということすらあった。

ゴヤは、日本ではそんなに人気がないのかもしれないな、なんて思った。

入るとすぐにゴヤの自画像がある。1815年ゴヤ69歳の時のものだ。

堀田善衛氏は「頑丈な男である。言うまでもなく髪は少し後退し、眼のまわりには隈ができている。そうして口許はいささか老人らしくゆるんできてはいるが、68歳という高齢とはとても思えない。顔は少しむくんでいるのではないかと思われるが、不敵な面魂にいささかの衰えもみせていない」(集英社文庫「ゴヤV」)と書いている。

次いで、タピストリの下絵である作品がいくつか並ぶ。題材も日常的であり、色彩も穏やかだ。「日傘(パラソル)」がある。「何かの広告にでも使いたいくらいの、商業美術的作品」と堀田氏は評している。

ここにある絵は、穏やかな感じ。でもちょっとボケてる、冴えがあんまりないようにも感じた。

「着衣のマハ」は「え、こんなにさりげなく飾っちゃうの?」。

ダ・ヴィンチの「受胎告知」の時などは1室に麗々しく飾ってあり、入り口から、スロープを折り返しながら絵に近づいていくという具合だった。

それに比べると、淡々とした展示だった。その上、人だかりができるわけでもなかった。やはり「裸のマハ」と対でないと、関心が低くなるのかな。という私も対で見たかったと思った。

カルロス4世の肖像、ホベリャーノス像など、肖像画もいくつかあった。

ホベリャーノス像については「司法大臣という職にある人の公式肖像とは思えぬほど親身なものである。この詩人政治家の詩人としての資質に即したものと見受けられる」(堀田氏)

タピストリーの下絵を描いた頃に比べると、絵の深みが違ってくると思った。

ゴヤは気に入らない相手だったりすると「手」をきちんと書かない、両手の指まで全部描いてあるのは、相手を尊重している場合だ、と本で読んだことを思い出しながら、肖像画を眺めた。

肖像画でいうと、「アルバ女公爵」の肖像が、後姿の小さい絵しかなかったのが寂しかった。あとドン・ルイース親王一家の肖像画とか見たかった。あ、カルロス4世家族像も。

(プラド美術館に行くしかないんでしょうね)

あとは版画がほとんどだ。「気まぐれ」「戦争の惨禍」「妄」「闘牛士」など有名なものの中から、数点ずつ展示してあった。あんまり残虐なものや、悲惨なものはなかった。ほっとした。

版画は小さいし、照明も落とされているので、何が描かれているのか分かりにくいものもあった。

会場を出て「カタログ」を購入。「ゴヤ展グッズ」は特に買わず。「キタムラ」のgoyaロゴ入りのバッグなども販売していた。中にロバ型小銭入れもあった。これは版画「気まぐれ」の中の「ロバ」から取ったもの。

「気まぐれ」の「ロバ」はカルロス4世の宰相ゴドイ(「着衣のマハ」を描かせた人)のことだそうだ。権力者を皮肉っている。

帰宅後、堀田氏「ゴヤ」を開いているのだが、図版の絵や版画を見ると「あら、これもあった」「これも」と、かなり充実した展覧会であったことがわかった。

そして、氏の解説や分析は、展覧会での解説よりも詳しいので、「あぁ、あの版画はこういうことだったのか」と改めて、理解したりしている。

ゴヤの風刺や、妄想的なもの、ドキュメンタリ的なものは、解説がないとよくわからない。美しい絵ばかりがあるわけではないので、かなり気力も要する。

「ゴヤ」という画家、その生きた時代が、気楽な絵画鑑賞を許さない。覚悟はしていたが、重いものを突きつけられるような気がした。
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