2012/2/23

村山由佳「放蕩記」  本・文学

村山由佳さんの作品を読むのは初めてだ。

最近の小説は読まないので、村山さんのこともほとんど知らない。だいぶ前にテレビで、千葉の田舎暮らしを紹介しているのを見たことがあるくらいかな。

この本のことは、出版された直後に新聞の読書欄で見て、気にはなっていた。母と娘の葛藤がテーマだということだったので。

ずっと忘れていた。

今週、新聞の「婦人公論」広告で、信田さよ子さんとの対談が掲載されているのを知った。さっそく「婦人公論」を書店で立ち読みした。

「自分を支配しつづけた母」という文字を見て、「母に支配される」とはどういうことだろうか、具体的にどういうことだったのだろうか、と思った。

対談の1ページ目を読んだだけで、「放蕩記」を買おうと思った。小さい書店なので、あるかどうか心配したが、文芸書コーナーで1冊見つけた。題名が題名だけに、ちょっと抵抗があった。1600円。

一気に読み終わった。屈折していく心の複雑な動きを、これほど細密に描いた小説を最近読んだことがなかったなぁと思った。また、心理の本以外で、こういうテーマに向きあう小説も初めて読んだ。

「放蕩記」の書名に惑わされそうだが、「放蕩」の話はそれほど多くない。

ほぼ自伝と考えていいのだろうか。幼い時から、40代の今まで、母との壮絶な精神的な闘いをつづっている。

重かった。


これほど強烈な母はそうはいないだろう。母を恐れる主人公の幼き日の姿はどれもどれも切ない。

理不尽な扱いを受けながら、それは自分が悪いから、と自分を責める。母の言動の予想がつくから、言葉を飲み込む。母の言葉は容赦がない、逃げ道がない。常に緊張している。顔色を見る。母の言動など受け流せばいいのに、それができない。できない自分を責める。嫌悪し反発しながら、罪悪感に苛まれる。

成長するにつれて、母を客観的に見るようになるが、それでも母の言葉や行動に縛られている。逆うこと自体が、母に支配されていること。

母の目を盗むように背徳的になっていく主人公。(⇒この辺は飛ばし読み。苦手)

終盤、認知症を患っていく母、次第に影の薄かった父が存在感を増す。家族の問題=からまりあった心情がほぐされていく。

村山さんはこの小説を書くことによって、母親の支配による苦しさからは解放されたのだろうか。

母と娘の物語は女系家族である私にもわかる部分がある。また、友人知人の中にも苦しさを抱える人がいる。或いは無自覚に娘を追い込んでいる。被害者であり加害者である。

心理カウンセラーには知られていた母娘問題が、こうして文学作品になった。心理描写、人物描写の的確さ、細やかさに、圧倒された。

この小説で、救われる人がいますように。そして、村山さんにはその筆力で、「人間」「家族」「男女」をなお一層濃密に描いて行ってほしいと思う。
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