2012/12/22

金曜官邸前抗議へ  原発関係

夏至の頃に初めて官邸前抗議に行き、冬至の日にも官邸前に行った。

選挙結果を受けてもあきらめないことを示すためだ。

最初は国会前のファミリーエリアに行こうと思ったのだが、地下鉄の駅を出たら方向が分からなくなり、人の後について行ったら見覚えのある道だ、あ、国会議事堂駅。というわけで官邸前へ。

思ったよりも人が多い。熱気がある。
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写真では見えないが、柵の向こうの官邸前角まで人がぎっしりだ。自転車隊も30台位、国会、官邸前付近を走り回っていた。

再稼働反対のシュブレヒコールが始まり、一段落するとスピーチが始まる。シュプレヒコールとスピーチが交互にある。共産党の志位委員長と議員の方、その後は一般人だ。一般の方のスピーチに共感したり、考えさせられたりで、途中で帰ろうと思ったのだが、最後まで残って聞いてしまった。

神戸から居ても立ってもいられないと駆けつけた女性はまだ未成年かな。選挙結果には失望している、自民党政権は違う意見の持ち主や不服従の人たちをいじめるだろう、おかしい。こんな国になったら愛せない、と、愛国心の話になったら主催者からストップ。原発の話に留めるのが約束。

声からいかにも年配の女性。被ばく労働がなくてはなりたたない原発は絶対になくさなくてはならない。広島・長崎と世界で唯一経験した日本が何故苛酷事故をおこしても原発をやめないのか、40年闘ってきたが、原発がなくなるまで死ぬまで闘い続けると話した。

チェルノブイリの妊婦3割に異常が出ているという報告をした人の後に、視覚障碍者の方がスピーチ。

「さっき奇形と言う話が出ました。僕は目が見えません。原発推進派の人にも反対派の人にも言いたいんですが、障害は不便だけど不幸ではないという社会でなくてはいけないと思う。そういう意味で障碍者を徹底的に貶めた石原は許せない。」

「7月以降官邸前には来てません。癌になりました。久しぶりです。今、私は毛がありません。毛はボロボロと無残に抜けます。癌になると癌で死ななくても、抜歯の出血で死ぬこともあります。そういうものなんです。被曝で癌や白血病になることはわかってます。原発は動かしてはいけない」

「今、福島第一原発で収束作業にあたっている労働者の皆さんの待遇をもっともっと良くしてください」

「二本松から来た。浪江町は二本松の隣なので避難者がかなりいる。お年寄りで亡くなった方もいる。だが、その遺骨を故郷に埋葬することもできない。原発はふるさとを奪った。原発反対、ふるさと返せ、子どもを守れ」

「自民党政権になると、市民の抗議に対して、締め付けが厳しくなるだろう。大阪では不当逮捕が相次いている。」の話に、「ますますやる気が出るぜ〜」の声。

「フランスから来ました。今回の選挙はフランスでも驚きを持って、というか失望を持って受け止められている。フランスだって原発はやめたいんです。日本の動きを注視していました。次の総理になる安倍さんに言いたい。『日本を取り戻す』よりもまず『福島を取り戻してください』!」

宇都宮健児さんもスピーチした。選挙には負けたが、100万人近くの人が支持してくれた。勝手連など草の根の活動も広がった。これからも頑張っていきましょう、と元気な声だった。

近くの女性と話をした。「選挙はがっかり」。でも私が「60歳を越えて初めて選挙事務所でボランティアをしました」というと、「私もです!」と言う。そういう人が増えたような気がする。

私は、宇都宮さんの城南地区での遊説を聞きに行った。人が集まらず、あまりにしょぼくて、ついパネルを持ってあげた。その時運動員の人に聞くとボランティアは歓迎だというので、時間のある時選挙事務所に行くことにした。

人手の足りないところを2時間ばかり作業してきた。次々ボランティアがやってきた。確かに草の根運動だった。

自民・公明・みんな・維新+連合に対して、宇都宮さん支持は未来・社民・共産・生活ネットなどだから、基礎票だけでほぼ結果はわかっていた。でも、できるだけのことをしたいと思った。

宇都宮先生は消費者問題に取り組んだことのある人なら、誰もが知っている。大恩ある弁護士だ。

私はいつも官邸前抗議でも、集会でも、一人で行っていた。友人たちに声をかけることもなかった。集会に行っても、周囲の人たちとはちょっと話すだけで名前も連絡先も聞かず、それきりだった。さっぱりと言えばさっぱり。

だが、そうではなくて、つながりを持ち続けることが必要なんじゃないかと思った。安倍政権は危うい。抵抗をしていかなくてはならないと強く強く思う。
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