2015/3/16

東名を走った  旅・散歩

用事のため、東名を走った、と言っても私は後部座席に座っていただけ。夫と娘が交代で運転して、中部地方まで。

日本坂トンネルを通る時は、「大火災があったのはいつだっけ?」

「あれはたしか、長女の生まれる前、つわりがひどい時に、友人のAさんがヨーロッパ留学から帰って挨拶に来た日の事」

と言うと、夫は全く覚えていないという。場面記憶というか、AさんとAさんの弟がまだ引っ越して間もない我が家に遊びに来た、その時の情景を思い出せる。

早速検索してみると、1979年7月と出た。間違いない。

あの時は60日間も日本坂トンネル下り線は通行止めとなったそうだ。あの後しばらく真っ黒に焼け焦げた車が東名高速の脇に置いてあった(これは夫の記憶)

追記:
この時、多くの死傷者が出た。その後、トンネル安全のための設備が整った。「笹子トンネル」事故では天井のコンクリートが落ちてきて若者たちが犠牲になった。犠牲が出る前に、なんとか事故が防げないものだろうか。「ひやっ」とした事故は些細なものでもきちんと対策を取ってもらいたいと心から願う。

曇りで富士山は見えなかった。道路沿いで景色がいいのは静岡の茶畑かな。あとはどこもあまり変わり映えしない。

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浜名湖サービスエリア。

農産物を売っていた。みかん、甘夏、苺。

芽キャベツ、金柑、ムカゴを買った。ムカゴは珍しい。どれも袋いっぱい入っていて、安い。芽キャベツもムカゴも180円。

ムカゴは帰宅後、「ムカゴご飯」にして食べた。野草好き・アウトドア好きの夫が調理した。豆ごはんのような感じだ。

浜名湖SAに来るのはいつ以来?と夫がいうので、記憶をたどる。

確か、岐阜の親戚宅に行った時だから、え〜と、

そうだ、叔母さんと従妹のMちゃんがテレビニュースを見て泣いていた。高校生の中国への修学旅行で大きな鉄道事故(上海付近)が起きた。その悲劇を見て、叔母さんたちが泣いていた。

ネットで調べると、上海列車事故は1988年3月。このことも夫は全く記憶にないという。あの親せき宅の茶の間のテレビ前の光景、私ははっきり覚えている。

それ以来、つまり27年ぶりの浜名湖SAということになる。

3月半ばの東名はまだそれほど混んでいなくて、スムーズに目的地へ着いた。新幹線に比べると3人で1万円かからないから安い。運転手が二人だったので、疲れなかったそうだ。

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