2018/7/20

上田城址  旅・散歩

NHK大河ドラマ「真田丸」ファンだった娘がずっと行きたいと言っていた上田。

そろそろ観光客も落ち着くだろうと、行ってきた。

とにかく暑い日。宿の人が「長野は涼しいと思っていらっしゃるかもしれませんが、暑いんですよ。今日は37度」と言っていた。

ともかく、

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これは真田氏が造ったものではなく、その後の仙石氏が造ったものだそうだ。

上田城は真田氏が築城し、2度にわたって徳川氏を撃退した。徳川幕府の時代になって、上田城は徳川氏によって壊され廃城となった。真田氏長男真田信之は松代へ領地替えになる。

仙石氏が上田に入り、上田城が再建された。1706年仙石氏から松平氏へ交代、明治維新まで続く。

この櫓は見学ができる。私は行かず、樹の下のベンチで待っていた。暑かった。

同じベンチで休んでいた家族がいて、祖母らしき人が「こんなに暑いと熱中症になってしまうね」というと小学生の孫が「被災地の人たちは大変だね」と言った。広島岡山愛媛の7月豪雨の被災地のことを思いやっている。

この後、博物館に寄った。

真田昌幸の北条氏に宛てた書状などがあり、それはかなり秘密の部類に属するものだが、江戸時代以前の資料だってちゃんと残っているのに、今の政府の公文書管理は一体何なんだよと思ってしまった。

大阪夏の陣の錦絵があった。そばで女性二人が「真田と徳川は分かった」、「島左近を探さなくちゃ」と熱心に絵を見ていた。「歴女」?

百姓一揆の展示もあった。

初めの方は庄屋が農民を代表して、窮状と救いを為政者に訴えている。願いが受け入れられるものの庄屋(首謀者)は処刑された。彼らを顕彰する碑や祭りが残っているという。時代が下るにつれ、庄屋の横暴を平百姓たちが集団で訴えるようになる。歴史学ではとっくに知られていることらしいが、私は知らなかったので「へぇ」と思った。

家族的経営の企業で創業者は従業員をわが子のように思い(それ自体が施し的だが)、守ろうとする、3代目あたりからオーナー一族は自分勝手に振る舞い始め、従業員の待遇や権利を無視するようになる、ていうのは良くある話だなと思ったりした。

松平氏は幕末江戸幕府の重職を務めたという。そして家臣の赤松小三郎のコーナーがあった。

勝海舟の門下となり、長崎海軍伝習所にも赴いて洋学をおさめた。英国式兵学者として、薩摩藩や会津藩、多くの藩士を指導した。普通選挙による議会政治の提言も行ったという。

佐久間象山とも交流があったそうだ。

しかし、赤松は「人斬り半次郎」の暗殺されてしまう。佐久間象山も暗殺されている。今、「西郷どん」なんて大河ドラマをやっているが、彼らのやったことは許せないと思う。日本の近代化に必要な人物を「洋学かぶれ」「幕府側」として抹殺してしまったのだ。

明治維新150年を祝おうなんて闇過ぎる。

この博物館には人工癌実験成功の「山際勝三郎」氏の生涯と研究を紹介している部屋もあった。ウサギの耳にコールタールを塗擦することによって人工的に癌を発生させたという業績で有名な方。ノーベル賞を取りそこなったという。

それにしても昔の大学教授は佇まいが重々しい。今の、よくわからない特任教授とか、准教授とか、軽いなぁと思った。

あんまりに暑いので、上田では他を見物することもしなかった。

そうそう、別所温泉で激推しの力士「御嶽海」、それまで全然知らなかったが、名古屋場所で優勝した。長野県出身力士としては江戸時代伝説の雷電以来だという。

帰りのサービスエリアで長野県産のトウモロコシ、トマト、プラムなどを買って帰った。長い間行きたかった場所へ行くことができて嬉しかった。
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