2006/1/30

松林図&書の至宝展  展覧会

先日、長谷川等伯「松林図屏風」公開が終わってしまうので、国立博物館に慌てて行って来た。

12月・1月の国宝展示。展示室は混んでいた。照明が落とされていて、すごく暗かった。この絵は前にも見たことがあるけれど、もっと明るい所で見たような気がする。

人が多いので、全体像をじっくりというわけにはいかなかった。案内板に「料紙」や「筆」の説明があったので、すぐそばまで行って確かめる人が多い。離れて見ると人垣が邪魔だった。だから、私もそばに行って細部を見ることにした。竹筆で描いた部分など、ちょっと荒っぽくみえるけれど、それが効果的、筆の効果を十分に知り尽くした画家の熟練の技だ。

ある程度眺めて満足したので、「書の至宝展」に行くことにした(博物館パスポートで見られるので)。「書」は苦手だ。大体「書」なんて地味な企画、誰が見に来るんだろうと思っていた。

ところが!すごい人出だった。そういえば書道愛好者は、全国津々浦々いるのだった。入ってすぐにある「王義之」なんか人だかりで全然見えなかった。あきらめて展示を全部見てから、もう一度見に行った。2度目で漸く見ることができた。

王義之の真跡は残っていなくて、今あるのは「模本」だけ。唐代に「双鉤填墨」という技法で模写したそうだが、現在に伝わる例は8〜9しかなくそのうち3例が日本にあり、遣唐使がもたらしたものといわれている。大したもんだ。王義之の書といえば「蘭亭序」。皆一度は目にしたことがあるはずだ。

欧陽詢の「九成宮醴泉銘」は娘が書道で書いたから見覚えがある。「これこれ」と言って指さす人もいた。

空海の「風信帖」も人だかりだった。前にいた大柄な男性が「どうぞ」と場所を譲ってくれた。「これは有名なやつですから見なくてはね」と。

聖徳太子の書(お経)もあった。若い女性が「結構この字好きかもしんない」と言って眺めていた。細かいちょっと神経質そうな字。

平安時代の藤原行成や小野道風などは洗練され優雅だ。「字」の形だけではなく、墨の色やかすれ、余白、料紙まで見ないといけない。書というよりデザインという感じかな?

それは光悦や近衛信伊、昭乗等、江戸時代も同じかなと思った。

政治家、詩人としても有名な「蘇軾」の真跡も出品されている。歴史上の人物の書は、その人物について単なる知識ではなく、その人の存在感をまざまざと感じることができるから興味深い。

書は「読めない」「意味がわからない」でいつも悲しい思いをする。でも、それでもいいそうだ。美しさを感じ取ればいい、と解説の人が書いていた。確かに展示でも読み方の説明はほとんどなかった。和歌もほんの数首、読みがついていただけだった。それも展覧会主催者の意図なのだと納得した。

会場で熱心に見ている人は若い人も多く、また男性も多かった。書道というと中年以上の女性という印象があるので、意外だった。書道愛好者の層の厚さを感じた。

とても有意義な展覧会だったが、私はちょうど「奇人と異才の中国史」を読んだばかりだったので、「顔真卿」の書が見たかった。残念。
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