2010/12/10
町民劇から感じるとても大事なこと。
町民劇が修了した。
長い長い稽古と、長い長い舞台。
やる人も、支える人も、見る人も、みんな飽きずに良く頑張った。
飽きずにやりとおす。
実は、今回ここが一番こだわっていたかもしれない。
飽きずにということは、今回すごく大事なところだと自分は思っている。
いっぱいその要素はあるが、例えば劇そのものの内容。最後の2時間を越えていよいよということで今回この劇で見てくださった町民のみなさんに響いて欲しいと願ったフレーズ『自分たちの故郷は自分たちで守るんだ』という島ネズミの言葉。
主役からでもない、冒険者たちからでもない、いわゆる脇役のこの言葉。
飽きずにいたら、必ず届いてくれるだろう。言葉ではなく、心で。
普段から何気なく、過ごしがちなとき、他愛も無いことは、飽きたら止めてしまう。
でも、飽きずに積み重ねれば、必ず成し遂げられる。
『志あるものは、事ついに成る』
仲間に飽きず、話に飽きず、通わせることができれば、必ず人と人は繋がり、物と物が繋がる。いわゆる集団ができるというわけだ。
そして集合体の中でどう生きるかは、お互いの阿吽があって、尊重があってはじめて、機能するようになる。
得意なところ不得意なところ、そう役どころもお互いを見つめあい、自己を見つめ
飽きずに共に生きること。
シンプルなことではないか。
こんな小さな田舎まちなんか、なーーんにも無いさ。
こんな小さな田舎まちだモン、もうどうしょうもないのさ。
本当に、本当にそうだろうか。
全てではないが、この演劇でこのまちの10分の1にものぼる町民のみんなが演じて、支えて、鑑賞して、応援して、涙して、意見して、共に作り上げた、飽きずに2時間半も。いや、5ケ月も。・・・いやいや3年目の町民劇。
すごいことじゃないか。
10分の1ですぜ〜!!
札幌市90万人でいったら、9万人ですよ。
心に思うことあれば、その心に響く動き、活動を目にして感じないわけが無い。
実は、この町の良いところ、すごいこと、誇れることがあっても、今は心深くあるだけのとき。少なくても貶したり、罵ったり、足ひっぱったりはしない。つまらないことがスタンダードであってはいけないわけだ。現状は認識しているつもり。
だから自分は諦めず、飽きずに歩みは遅くても、心に置き、進むのだ。
飽きずにこの町に住み、この町の人たちと集合体で生きていくことを考えてみてみよう。
決して何もない町ではない。
経済的な直接対価が得られるものだけが全てではない。
田舎には田舎の生き方がある。
目に飛び込んでくる、大きな流れ(情報)に惑わされてはいけない。誘導されてはいけないのだ。
そう、人は支えあって生きていくものだから。
お金ではないわけだ。
忘れかけているものを、いや忘れてしまったものを思い出す要素を持っているこの町はすごいと思わないか。
そういうことを私は感じた。し、ずーっと思っている。
これは、すごく意義のあることだ。
町民劇だけではなく、色んな場面でそれは感じることが出来る。
物事の本質を飽きずに覗いてみよう。
今回、この町民劇を支えてくれた、舞台監督、演出に最大の敬意をはかりたい。そして、制作には大変な感謝申し上げたい。当然だけど、舞台装置や一緒に演じた役者のみんなも仲としてこれからも共にキモチを通わせたい。
何より、これからも集団で生活して行きたいと願う、町民のみなさんが見に来てくれたことが全てです。
ありがとうございました。
長い・・・。
飽きずに読んでくださりありがとうございます。(笑)
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長い長い稽古と、長い長い舞台。
やる人も、支える人も、見る人も、みんな飽きずに良く頑張った。
飽きずにやりとおす。
実は、今回ここが一番こだわっていたかもしれない。
飽きずにということは、今回すごく大事なところだと自分は思っている。
いっぱいその要素はあるが、例えば劇そのものの内容。最後の2時間を越えていよいよということで今回この劇で見てくださった町民のみなさんに響いて欲しいと願ったフレーズ『自分たちの故郷は自分たちで守るんだ』という島ネズミの言葉。
主役からでもない、冒険者たちからでもない、いわゆる脇役のこの言葉。
飽きずにいたら、必ず届いてくれるだろう。言葉ではなく、心で。
普段から何気なく、過ごしがちなとき、他愛も無いことは、飽きたら止めてしまう。
でも、飽きずに積み重ねれば、必ず成し遂げられる。
『志あるものは、事ついに成る』
仲間に飽きず、話に飽きず、通わせることができれば、必ず人と人は繋がり、物と物が繋がる。いわゆる集団ができるというわけだ。
そして集合体の中でどう生きるかは、お互いの阿吽があって、尊重があってはじめて、機能するようになる。
得意なところ不得意なところ、そう役どころもお互いを見つめあい、自己を見つめ
飽きずに共に生きること。
シンプルなことではないか。
こんな小さな田舎まちなんか、なーーんにも無いさ。
こんな小さな田舎まちだモン、もうどうしょうもないのさ。
本当に、本当にそうだろうか。
全てではないが、この演劇でこのまちの10分の1にものぼる町民のみんなが演じて、支えて、鑑賞して、応援して、涙して、意見して、共に作り上げた、飽きずに2時間半も。いや、5ケ月も。・・・いやいや3年目の町民劇。
すごいことじゃないか。
10分の1ですぜ〜!!
札幌市90万人でいったら、9万人ですよ。
心に思うことあれば、その心に響く動き、活動を目にして感じないわけが無い。
実は、この町の良いところ、すごいこと、誇れることがあっても、今は心深くあるだけのとき。少なくても貶したり、罵ったり、足ひっぱったりはしない。つまらないことがスタンダードであってはいけないわけだ。現状は認識しているつもり。
だから自分は諦めず、飽きずに歩みは遅くても、心に置き、進むのだ。
飽きずにこの町に住み、この町の人たちと集合体で生きていくことを考えてみてみよう。
決して何もない町ではない。
経済的な直接対価が得られるものだけが全てではない。
田舎には田舎の生き方がある。
目に飛び込んでくる、大きな流れ(情報)に惑わされてはいけない。誘導されてはいけないのだ。
そう、人は支えあって生きていくものだから。
お金ではないわけだ。
忘れかけているものを、いや忘れてしまったものを思い出す要素を持っているこの町はすごいと思わないか。
そういうことを私は感じた。し、ずーっと思っている。
これは、すごく意義のあることだ。
町民劇だけではなく、色んな場面でそれは感じることが出来る。
物事の本質を飽きずに覗いてみよう。
今回、この町民劇を支えてくれた、舞台監督、演出に最大の敬意をはかりたい。そして、制作には大変な感謝申し上げたい。当然だけど、舞台装置や一緒に演じた役者のみんなも仲としてこれからも共にキモチを通わせたい。
何より、これからも集団で生活して行きたいと願う、町民のみなさんが見に来てくれたことが全てです。
ありがとうございました。
長い・・・。
飽きずに読んでくださりありがとうございます。(笑)
