2007/11/28

『理屈、論争と物語』  映画

東京フィルメックス映画祭で、インドの巨匠、リッティク・ゴトク(以前はリトウィック・ガタクとも表記されていたが、今回はリッティク・ゴトクとなっているのでこちらで統一したい。なお、リッティク・ゴトクという表記はすでに1987年9月発行の雑誌『コッラニ』12号でそのように表記されているし、別に今回、初めてこのように表記されたわけではない。というか、もともと最初はこの名前で日本に紹介されていたのではないかと思うのだけど・・)監督の最後の長編劇映画という『理屈、論争と物語』(1974年)をようやく見ることが出来たわけだけれども、以前に『雲のかげ星宿る』(1960年)を見て、すっかり(たとえばダグラス・サークのような)メロドラマの巨匠なのかと思っていたリッティク・ゴトクという監督が、こんな飄々とした、70年代ヒッピー文化に通じているようなというのか、ジャック・リヴェットの親戚みたいな、ポップな前衛作品を遺作として撮っていたとは嬉しくなる。

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なんといっても若い娘の登場のさせ方のあまりのデタラメぶり(まったく、なんの必然性もなく妻に去られた男のもとに突然、見知らぬ若い娘がたずねてくるのだ・笑)にのけぞったが、この「若い娘」という存在自体が、もしかしたら50年代から60年代前半の全盛期のインド映画に対するオマージュだったのではないだろうか・・。この頃のインド映画はまさに女優の宝庫だったのだから。あのインドの吉永小百合と言うべきヌータンや、ラージ・カプール監督の女神のナルギス、グル・ダット監督を狂わせたワヒーダー・ラフマーン、あるいはミーナークマーリー、スライヤー、『シュボルノレカ河(黄金の河)』のマドビ・ムカルジー・・。特に、イメージとして決定的だったのは、『スジャーター』(ビマル・ラーイ監督)でヌータンが演じた不可触民の娘と、文字通り、「インドの母」と言うべき『マザーインディア』(メーフブーブ監督)のナルギスだったのではないだろうか・・。というわけで、『理屈、論争と物語』で若い娘が唐突に登場することは、ストーリー上の必然性は何もないのだけれども、やっぱり「必要」なことだったのかもしれない。
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