2008/2/12

工藤栄一監督特集  映画

完成度が高い犯罪映画というと、たとえばキューブリックの『現金に体を張れ』のような作品のことを言うのだろうか。決して僕はキューブリックの完全主義的なつくり方は好きなわけではないし、実は『2001年宇宙の旅』もそれほど好きな映画ではないのだけれども、『現金に体を張れ』に関しては男と女の関係性の哀切さを見事に描き切っていて、やはり傑作だと認めるしかない。
そして、『現金に体を張れ』のような映画に比べると、シネマアートン下北沢の工藤栄一監督特集で見た『野獣刑事』(1982年)や『逃がれの街』(1983年)は「完成度が高い」という言い方はやはり出来ない映画なのだろうかと思う。むしろ、工藤栄一の映画は、どこか、バランスを崩してしまっているように思える。工藤栄一はプログラムピクチュアの職人監督として鳴らした監督なのだけれども、この監督の映画は職人的に手堅くまとめられた作品ではないような気がする。むしろ、あまりに野心的すぎて物語としてはバランスを崩してしまっていたり、どこか、過剰なのだと思う。無論、だから良くないと言いたいわけではない。その過剰さこそが工藤栄一の映画の魅力なのであり、哀切さであることも疑いようがないのだから。

特に、『野獣刑事』の終盤部、泉谷しげるが少年と車を盗んで以降のパートはこの物語にとって必要なものだったのだろうか? あるいは『逃がれの街』の終盤部の水谷豊と少年の逃避行はそれまでハードボイルドとして展開してきた物語からあまりにバランスを崩してしまっているのではないだろうか? そもそもなぜ突然、少年を連れた逃避行の話になってしまうのか? これらの疑問は正統なものである・・と言えるのかもしれないと思う。
だけれども、やはりこうしたことが工藤栄一監督にとって必要なことだったのだと思う。どちらの映画も、少年を出すことが、おそらく工藤栄一監督にとっては大切なことだったのだ。というか、大人になってしまった男女のぐちゅぐちゅした話の傍に、少年を出すことで、何かを「未来」に向けて伝えたかったのではないだろうか?
そして、また、同時期に相米慎二監督が「少年少女もの」の作品を撮っていたこととも何か、連関しているように思うのである。工藤栄一は当時、すでにベテランの大監督だったわけだけれども、当時、新人、新鋭の監督として鳴らしていた相米慎二監督の作品群とどこか、共鳴しあっていて、もしかしたらそのことが『野獣刑事』や『逃がれの街』に少年を登場させる原動力になっていたのではなかったのだろうか?と思うのだ。
0



コメントを書く


名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ