2008/10/21

イェジー・スコリモフスキーの帰還  映画

イェジー・スコリモフスキーを「巨匠」と呼んでしまうことにはちょっと違和感を覚える。もちろん「巨匠」と呼ぶのにふさわしくないという意味ではない(まさか!)。年齢的にも、経歴にしても、まさに真に「巨匠」と呼ぶのにふさわしい、世界有数の映画監督であることは間違いないわけだけど・・、しかしイェジー・スコリモフスキーと言えば『早春』を撮ってしまった男なのである。あのあまりに屈折した傑作、青春映画と言っても「遅れてきた青春」を描いた(青春前期の少年を主人公にしたものであるのにもかかわらず!)あまりにも痛切な、異端の傑作を撮ってしまった男は、やはりいくら経歴を積んでもどこまでも異端の作家なのであり、「巨匠」として格付けしてしまうのはなんか、違うような気がしてきてしまうのだ・・。
ポランスキーは『戦場のピアニスト』で見事に「巨匠」になったわけだけど、スコリモフスキーは果たして「巨匠」と呼ばれるような作品を撮る監督になっているのだろうか?
いや、でも、スコリモフスキーも実に17年ぶりに、撮ったのだから、「スコリモフスキーもついに巨匠になった!」と納得せずにいられないような「偉大な映画」なのだろうか?
・・などと思いつつ、東京国際映画祭の、なんとコンペティション部門で堂々と上映されているイェジー・スコリモフスキー監督の2008年の新作

『アンナと過ごした4日間』

を見に行ったわけだけど・・。

やはり「偉大な映画」であった。かといって、「スコリモフスキーもついに巨匠になった!」という意味で「偉大な映画」だったということではない。まぎれもなく『早春』の映画作家がそこにいた。まばゆいばかりの色と音の乱舞。屈折した女への愛の物語。これは本当の、「遅れてきた青春」を描いた青春映画の傑作だ。かといってこの映画の主人公の男はかなりの中年男なのだけど・・、でもやっぱり痛切な、真の青春映画と言うしかないような作品だ。そして、まぎれもなくイェジー・スコリモフスキーにしか、かつて『早春』を撮ってしまった男にしか、撮れないような映画だ。『早春』の世界が、あのドグドグした心、魂のままで、しかしより完成されてここにはあるようではないか・・。

あの『早春』の映画作家が本当に帰ってきたのだ。『ライトシップ』はたしかに異様な作品だった。『ザ・シャウト』も見たことがないようなホラー映画だった。どちらも異端の傑作で、やはりスコリモフスキーの作品だと思わずにはいられないものではあったのだけど、でも、ああ、『早春』の映画作家が帰ってきた・・と思うようなものではなかったような気がする。

『アンナと過ごした4日間』で、本当に『早春』の、あのドグドグとした世界が、『早春』の映画作家が帰ってきた・・。

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