2009/2/2

木村文洋監督作品『へばの』  映画

冒頭、六ヶ所村の風景にゆっくりとオーバーラップで絵画のような映像が浮かび上がってくる。一瞬、なんだろう・・と思ってよく見てみると、なんとヒロイン、西山真来の裸の映像なのだった。

これは、不器用で粗忽な映画である。木村文洋という新人監督は、たとえば、『彼方からの手紙』の瀬田なつき監督のような、「天才」ではないのかもしれない。
「物語」というよりも、僕達がここにいる・・ということの「痛み」をゆっくりと確認している・・なんか、そんな感じだ。
これこそが映画だ・・とは思わないけれども、ああ、映画ってこういうのもありだよな・・と思う。

男には、セックスする「性欲」と、子供を妊娠して出産する願望の「欲望」がストレートに結びついているわけではない。
女にとっては両者は直結している。
だから、男は恐くなって、ウジウジと逃げているのだろうか。

このウジウジした男を演じているのが吉岡睦雄だ。そう、田尻裕司やいまおかしんじのピンク映画で見て来たウジウジとした男を演じさせるとうまい俳優。吉岡には、田尻、いまおかに、新たに木村文洋というユニークな監督の作品世界を支える存在というキャリアが加わった。

それにしても、この『へばの』という映画は、何か、得体が知れないところがある。
それは、たとえば安全地帯の歌がえんえんと流れたりするところだろう。
たとえば田尻裕司監督の傑作『OLの愛汁 ラブジュース』で椎名林檎の歌が流れる時、ああ・・と観客はある種の感慨に浸ることが出来る。
しかし、2009年に公開される映画で、安全地帯の歌が流れるのを聴く時、どのような感慨に浸ればいいというのだろうか・・。観客はポカンとするしかないのではないか・・。なんで安全地帯なのだ? いったい、どういうつもりで安全地帯の歌を持って来たのだ?
そもそも六ヶ所村核燃料処理施設と男女のウジウジとした恋愛の話・・というのを結びつけてこのような映画を撮ってしまったところからして得体が知れないことをやろうとしている監督だと思うのだけど、安全地帯の歌を持ってくる・・というあたりにも得体の知れなさを感じる。
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