2009/8/7


人類が核兵器を手放すことが出来ないのは、実は政治的な国と国との駆け引きの問題ではないのではないか?
オバマ大統領が言うことを歓迎しようとか、いや、オバマはあくまでアメリカの「核の傘」というのを前提にして言っているのだからあんな言説をまともに受け取ってはいけないのではないか?といったことが議論されていて、それはそれで意味がある議論なのかもしれないが、でも、本当に本質的な問題は、そういうことじゃないのではないか?
それはもっともっとひとりひとりの心の内にあることの問題なのではないか? おそらくは。
つまり、ひとりひとりの心の中にある「恐怖心」に、ひとりひとりの人間がうちかつことが本当に出来るのか?という問題なのではないか?
結局、自分が手放して、自分以外の誰かが持っているのだとすると、自分の頭の上に落ちてくるかもしれない。それが恐い。そういう恐怖心があるから手放すことが出来ないのではないか?
日本だって、たとえば日米安保を完全に破棄して、米軍が完全に日本国内から撤退し、その上でなおかつ核兵器は保有しない・・という道を多くの人々が選択することが本当に出来るのだろうか? それが出来ないのであれば、どんなにかっこいいことを言ってても、結局、アメリカの「核の傘」の下で言っているわけでしかないのではないか?
こうしたことは核兵器についてだけではなく、すべてのことに言えるのかもしれないが。たとえば、誰かがナイフを持って自分に襲いかかって来たとする。その時、自分の近くにナイフがあったとする。そしたら、自分はそのナイフを手にとって、相手にやられる前に相手を刺そうとするのではないだろうか? その時に、たとえ正当防衛だったとしても、結果として殺人者になってしまうのはイヤだから、相手を刺すわけにはいかない。自分が刺されて死んでしまうかもしれないけど、それも黙って受け入れよう・・という道を果たして僕は受け入れることが出来るのだろうか? そういう自信は僕にはない。
結局、自分が殺されてしまうかもしれない、死んでしまうかもしれない・・という「恐怖心」にうちかつことが出来る・・という自信が僕にはない。
そうした、確実に自分の心の中にある、何がなんでも自分だけは死にたくない・・という、ことによると自己防衛のために他人を死に至らしめる結果を招くことになるかもしれない、「恐怖心」を自覚するのであれば、核兵器を人類が手放すことが出来ないのは、自分は善良な人間で核兵器を廃絶したいと心から願っているのであるが、世の中にはもっと邪悪な心を持った人たちがいるから核兵器廃絶が実現しないのだ・・なんてことではないのであって、自分の心の内にあることの問題、自分の心の内と地続きの問題であると認識するしかないのではないだろうか?
自分は善良な人間だが、誰かが邪悪な心を持っているから・・ということではないのではないか? 人間はそんな風に善人と悪人とにきれいに分けられるものではそもそもないのではないか? 邪悪な面は確実に自分の心の内にもあるのではないだろうか?
こうしたことを考えて行くと、逆に言うと、どんなに善人そうに見える、ああ、なんて素晴らしい人なんだろう・・と思うような人であったとしても、もしかしたら邪悪な面も持っているかもしれない・・とも思えてくるわけだから、そんな風に全人類の、ひとりひとりの人間の心の中にそうした「恐怖心」が確実にあるのだとすると、その上で、そうしたひとりひとりの「恐怖心」を乗り越えて核兵器廃絶を実現させることが本当に出来るのだろうか? そんなこと、とても心の底から、自信を持って思って言うことが出来ない・・というのが正直な気持ちである。
だから、核兵器廃絶は可能なんだ・・と心の底から思うことなど、現在の僕には出来ない。
しかし、まずはそうしたことを自己認識すること。そういう風に、核兵器廃絶は可能であると心底、思うことが出来ないでいる自分というものを自覚し、そうなんだ、この問題の本質はこういう自分の心の内にあることなんだと認識し、そのことを正直に表明する(ここにこうして書く)こと。この問題について、他人となんらかのコミュニケーションをとろうとするのであれば、そこからしか、何も始まりようがない・・ということは言えるのではないだろうか?
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