2005/3/30

カナリア  映画

塩田明彦監督の新作『カナリア』はやはり変な映画だったのだけれども、オウムを題材にしながら、宗教の問題ではなく、現代における親子関係、擬似家族といった主題でまとめたところが、ある種の普遍性を獲得した作品になっているのではないでしょうか。
つまり、新興宗教教団を擬似家族として、そして主人公の少年を親に捨てられた子供としてとらえ、同じように家庭の中に居場所を失い援助交際に走っている12歳の少女を隣に配しているのですが、2人の道中に、逆に子供を捨ててレズビアンに走った女を絡ますことで、親に捨てられた子供と子供を捨てた親の両者の姿がいわば相対化して示されるようになっているのではないかと思います。こうした相対化した描き方が、終盤部の展開につながるようになっているのだと思うのです。
塩田監督の前作の『黄泉がえり』は、塩田監督が商業主義にこびた作品みたいに一部で言われていますが、僕はやはり他の塩田監督作品と通じる、塩田監督ならではの個性的な作品だと思っています。今回の『カナリア』にも通じるところがあると思うのですが、『黄泉がえり』もまた、思っているとよみがえるという観点で、いじめや障害者など、いろいろな人達の話を並列して見せて行き、現代社会を相対化してとらえて展望するような作品になっていたと思うのです。
塩田監督の映画は、現代社会をとらえる視点で普遍性を獲得していて、だから映画マニアだけを対象にしてつくっているわけではないように思えるのです。
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