2006/2/28

『クラッシュ』  映画

たしかによく出来ている脚本だとは言えるとは思うのだけれども、どうしてもあまりにも偶然が重なりすぎに思えるのと、ある種の運命論的なもので物語が動かされているのを感じてしまったため、個人的には作り物めいて見えてしまって(ドラマなんだからそんなことを言っても仕方がないと言われるともっともだとは思うのだけれども)、うまく感情的に入っていくことが出来なかった。
運命論みたいなものを僕があまり信じていないということもあるのかもしれないけれども、同時に運命論的なところに話がいってしまうと抜本的な解決策を提出しているとは思えないため、無力感が増してしまい、袋小路に入りこんだ物語のように思えてしまったということもあるのではないかと思う。
よくも悪くもアメリカ的な、個人主義的な思想を背景にした作品なのかもしれない。つまり、自分のことは自分で落とし前をつけるが、一方でがっしりと出来ている社会的なシステムや差別の構造は個人の力ではどうしようもないものだから、それに対して異を唱えようとしてもどうすることも出来なくて無力感ばかりが増していくことになる。個人主義で自分のことは自分で落とし前をつけるのなら、たとえば『スタンドアップ』のような法廷闘争や社会主義的な連帯という発想には行き着かないわけだろう。そうしたアメリカ的な個人主義的な方向性は潔さを感じるところもあるのだけれども、一方で解決策を見出せない袋小路に入り込んでしまっているようにも思え、僕個人としては乗れないのだ。(もちろん、これはあくまで僕個人の感想であり、現実に今のアメリカ社会が袋小路に入り込んでいることを描き出すことがこの作品のねらいであるならば成功している作品だと言えるのかもしれないけれども。)
そういえば『ミリオンダラー・ベイビー』も2度、見たけれどもどうしても好きになれなかった作品なのだけれども、やはり個人主義的な要素に乗れないところがあったのだろうか?と思う。
またアメリカの現実を描こうというねらいは分かるのだけれども、あまりに話が出来過ぎているように思えてしまうと現実を見せられているというよりよく出来た作劇を見せられているという気がしてきてしまい、嘘っぽく思えてくる。よく出来ていると思うだけに逆に嘘っぽく思えてしまうというジレンマを見ていて感じた。
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