2006/4/19

ノーモア水俣病:50年の証言(10)  公害・薬害・環境・医療問題

ノーモア水俣病:50年の証言/10 汚悪水論 /熊本
 ◇原告勝利への突破口−−企業の公害防止に機能
 69年に提訴した水俣病第1次訴訟で当初、原告側は重大な危機感に包まれていた。大きな壁として立ちはだかったのが「過失論」だった。
 弁護団は当初、毒劇物取締法で「毒物」としている水銀を流したとしてチッソの過失責任を主張した。だが、水俣病は、排水の水銀を直接摂取した患者が発症した訳ではなく、魚介類の体内に濃縮され続けた水銀を間接的に取ったのが原因。こうした“生物濃縮”による公害は、当時、世界でも例をみないものだったことを理由にチッソは「被害は予測できなかった」と反論。結果が予見できる場合に過失を認めるという法律論を盾にとった。
 弁護団は反撃を想定していたものの、対抗できる理論は模索中だった。訴訟を支援した水俣病市民会議や「水俣病を告発する会」は法律家や医師のもとに走り、協力を呼びかけた。
 当時、熊本大学の教官だった富樫貞夫・熊本学園大教授も「告発する会」の故本田啓吉代表から依頼を受けた。「聞けば聞くほど大変な裁判。30代半ばだった私は不安でしかたなかった。1人だけではおぼつかないので『医学や化学技術分野の人も一緒ならと引き受けてもいい』と」
 こうして69年9月、有志による「水俣病研究会」がスタートした。裁判は進行中で、待った無し。1年間は土日はつぶれ、連休や夏休みは合宿だった。そうして「汚悪水論」が生み出された。
 「汚悪水論」は、(1)水銀に限らずチッソの廃水にさまざまな有毒物質が含まれていることは明らか(2)水俣病以前にも漁業補償がされていることから同社も認識していた(3)にもかかわらず十分な予防措置を取らなかった――という論理建て。これが原告勝訴への突破口となり、今でも企業への公害防止の戒めとして機能している。
   ◇  ◇
 富樫教授は昨年11月、中国・上海の大学で開かれた「環境紛争処理日中国際ワークショップ」に参加。あわせて河南省の淮河(わいが)流域の水質汚染の実態を視察した。急激な高度成長が進む地方で、環境汚染が野放しで進む実態を目の当たりにした。
 河南省の農村では浅井戸が濁り、異臭を発していた。農薬や中小の製紙工場、食品化学コンビナートが汚染源とみられ、付近住民に消化器系のがんが多発していた。環境法制や民法すら整備されておらず、水質調査は皆無。損害賠償請求訴訟も起こっているものの日本よりはるかに勝訴は困難で、中央や地方政府に補償を求めるデモが広がりつつあるという。
 隣国の混乱を目にし、じくじたる思いにかられた。「国内で認定基準などに取り組むうちに、精神的鎖国におちいっていた。水俣病の教訓を海外で生かしてもらう取り組みが不十分だった」。河南省の汚染地区の上流には日本の食品会社と現地企業の合弁による工場があり廃水をたれ流しにしていたことが、よりショックを大きくした。
 「中国に限らずさらに問題なのは火力発電所。石炭に含まれる水銀が大気中に放出され、雨で海や川に流れて、魚の体内で濃縮される。水俣病問題に関わった我々は水の汚染ばかりに目を向けがちだったが、大気汚染を通して、水俣病はむしろグローバル化している」。水俣病50年の今こそ関係者が海外に目を向ける重要性が高まっている、と思う。【水俣病取材班】(次回は25日に掲載します)
(毎日新聞、4月18日朝刊)

*なお、このブログの「ノーモア水俣病:50年の証言(7)(8)(9)」の記事にトラックバックしていただいた「KPの小間使い」さんのブログの記事の中でこちらのブログをリンクしていただきました。有難うございました。

KPの小間使い  4月18日の「環境」関連記事
http://kprotocol.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/18_f23c.html
0



コメントを書く


名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ