2006/6/30

金英男さん記者会見、朝鮮日報の記事(2)  ニュース

(ニュース)
金英男さん拉致した工作員「本当にかわいそうだ」
 29日午前6時45分、金光賢(キム・グァンヒョン)さん(68)は通勤途中だった。
 自ら拉致し北朝鮮に連れ去った当時坊主頭の高校1年生だった、金英男(キム・ヨンナム)さんが前髪の薄い中年になって韓国から来た老母、崔桂月(チェ・ゲウォル)さんと金剛山で28年ぶりの「涙の対面」を果たした翌日だった。
 この拉致事件は当時対韓工作員だった金光賢さんがもたらした悲劇だが、本人は沈黙を守った。黒いズボンに長袖のワイシャツをまくり上げた姿の金さんは自身が拉致した金英男さんが崔桂月さんの大切な「末っ子」だったということが日本政府のDNA鑑定で明らかになった2カ月前よりも、さらにやつれており、歩く姿もつらそうに見えた。
 金光賢さんは周囲の視線を気にする様子でしきりに当たりを見回していた。足早に先を急ぐ彼は、記者たちの方を振り返りながら短く答えた。
 「これ以上話すことはない。もう(私を)放っておいてほしい」
 鍾路にある職場へ向かう地下鉄に乗った彼は、周囲の視線を避けるように窓の外を見つめ、唇をきつく結んでいた。
 その時、金光賢さんのそばに座っていた会社員が新聞を広げた。見出しには「金英男さん、28年ぶりに母と対面」の文字。彼はちらっと横目でその新聞の記事と写真に目を向けた。
 地下鉄が停車すると、彼がやっと重い口を開いた。「昨日少しテレビで見た。ほんとうにかわいそうだし、残念なことだ。最近糖尿病と高血圧が悪化して耳がよく聞こえないから、画面と字幕しか見ていないが・・・」
 それからしばし沈黙し、口ごもりながら話を続けた。「金英男さんもそうだが、自分の意志とは関係なく起きてしまったことだ」
 金英男さんと母の崔桂月さんが金剛山で涙の再会を果たした28日、金光賢さんは妻の母の49回忌を上げていた。彼は妻の母を「お母さん」と呼んだ。
 「お母さんが何でこんな目に遭わなくてはならなかったのでしょう。私のせいでこんなことになったのではないかと心が痛みます」
 地下鉄が乙支路入口駅に到着し、車両を降りた金さんはつらそうに駅の階段を上がった。会社に近づいてきた時、彼が握手を求めてきた。名刺を渡そうとしたが、受けとらなかった。
 「必要ない。私を放っておいて欲しい。ただ見守っていてくれさえすればいい」
 そして通勤ラッシュの人混みの中に消えていく前に、彼は「(金英男親子の件は)自分とは関係ないことだ」と言った。
 北朝鮮ではこの日、金英男さんが記者会見を行い、「自分は北朝鮮に拉致されたわけではない」と主張した。
 拉致実行犯と拉致被害者のなんとも皮肉な運命。両者とも韓国と北朝鮮で、自身の生き残りをかけ、本能的な「防御」を行っていた。
 金光賢さんは当時北朝鮮で対南工作員の侵入・復帰業務を担当する「301海上連絡所」に勤務しており、1980年6月に工作船に乗って忠清南道大川の海上から侵入を試みて捕らえられ、後に韓国に亡命した。
 当時の取調べでは、金さんは「金英男さんを群山仙遊島海水浴場で拉致した」と供述していたが、最近のインタビュー(4月15日付本紙)では「自分は甲板で仕事をしていただけで、金英男さんを見たことがない」と話している。
チョン・ヒョンソク記者

【社説】27年11カ月ぶりに姿を現した金英男さん
 28日、金剛山南北離散家族対面会場で北朝鮮による拉致被害者の金英男(キム・ヨンナム)さんとその母が対面した。
 当時高校生だった金英男さんは1978年8月、全羅北道群山近郊の仙遊島海水浴場に遊びに行ったきり、行方が分からなくなっていた。それから実に27年11カ月後、金英男さんはその姿を現した。
 82才の母、崔桂月(チェ・ゲウォル)さんは、失踪時、坊主頭の高校生だった息子が、前髪の薄い45才の中年になって現れた姿を見るやいなや、胸に抱きよせて顔をなでながら号泣した。
 北朝鮮が1994年に死亡したとしている横田めぐみさんと金英男さんとの間に生まれたウンギョン(ヘギョン)さんと、再婚した妻との間に生まれた息子のチョルボン君も、初めて見る韓国の祖母に正式にあいさつをした。
 ある日突然失踪した末っ子の息子を死んだものと思い、法事を行いながら長い年月を過ごしてきた母、生きていながら便りもできないまま南派(対韓工作)スパイの教官として青年期を送った息子、そんな2人にとってこの日はこの上なくうれしい日であったと同時に、限りなくわびしい日だったのではないだろうか。
 韓国民は紆余曲折を経て実現した親子の再会に目がしらを熱くしながらも、この日姿を現した金英男さんを通して、北朝鮮に対する認識を新たにしたことだろう。
 北朝鮮はこれまで拉致被害者の存在自体を認めようとしなかった。だが、日本に対しては小泉政府のねばり強い圧迫と説得に屈服し、13人の日本人を拉致した事実を認め、現在までにそのうちの家族5人を帰国させたが、同じく拉致された韓国人については相変わらずの知らぬ存ぜぬだった。
 当時高校生だった金英男さんが自分の足で北朝鮮に行ったはずがない。北朝鮮で姿を現した金英男さんの存在は、過去に北朝鮮が韓国の人々を拉致してきたという明白な証拠となる。それゆえ、北朝鮮は今や拉致犯罪について謝罪し、残りの拉致被害者をすべて帰国させるべきだ。
 28日午後、金英男さんが記者会見を行うという。本人が自主的に北朝鮮に渡ったと発言するかもしれないし、2004年に横田めぐみさんのものだとして日本側に引き渡した遺骨がにせ物だったという日本の主張に反論し、本物だったと主張するかもしれない。また、韓国に帰してくれると言っても帰らないというかもしれない。
 しかし、いったい誰がその言葉を信じるだろうか。
 北朝鮮は今回の対面行事を機に拉致問題の幕引きを図ろうとする可能性が高い。韓国政府がまたしても北朝鮮の思惑に乗せられるようなことになれば、今度は国民が黙っていないだろう。
(6月29日)

【社説】 「うっかり寝込んでしまい、目が覚めたら北朝鮮にいた」
 1978年8月に全羅北道群山近郊の仙遊島海水浴場で行方が分からなくなった金英男(キム・ヨンナム)さんが27年11カ月ぶりに北朝鮮で姿を現し、母との対面を行った後で記者会見を開いた。そして自分は北朝鮮の工作員に拉致されたわけではなく、事故で海を漂流し、北朝鮮に渡ることになったと説明した。
 チンピラのような先輩が女友達に貸した録音機を返してもらってこいと殴ったため、しばらく隠れていようと木製の小船に乗ったがうっかり寝入ってしまい、目が覚めてみると大海原に浮かんでいたという。
 そしてちょうど通りかかった北朝鮮船舶に救助され、北朝鮮に行ってしばらく滞在しているうちにそこでの生活が気に入ってそのまま暮らすようになり、今は党の懐に抱かれ、ほんとうに幸せに暮らしていると主張した。
 前妻の横田めぐみさんが北朝鮮当局の発表したように1994年に病院で自殺したのは確かで、日本側に引き渡した遺骨も横田めぐみさんのものに間違いないとし、日本側で持ち上がっている疑惑を一蹴した。
 金さんには、このように話す以外に選択肢がないのだろう。そうした事情を理解できないわけではない。
 本当に悪いのは、金さんの背後でこうしたでっち上げのシナリオを読み上げるよう強制した人々だ。
 エンジンのない木製の小舟が群山近海から南北境界線までの数十、数百キロを自然に流されたという話を誰が信じるだろうか。もしそうではなく、キムさんの言う「目が覚めてみたら大海原だった」というその場所が群山からさほど離れていないところだったとすれば、それは北朝鮮の船舶が特定の目的を持って南方限界線を越えてきていたと自白したことになる。
 また、それほど幸せに暮らしてきたという人が、自分の行方が分からなくなって母がどんなつらい思いをしているかを知りながら、30年もの間1通の便りも送らなかったということがあり得るだろうか。
 話しているキムさんも、聞いているわれわれも、やるせない気分でいっぱいにさせられる、間の抜けた演劇のような会見だった。
 韓国政府はこの「茶番劇」を観覧して、これからどうしようと考えただろうか。「ああ、そういう事情だったのか」と言いながら、平然とまた背を向けてしまうのだろうか。
(6月30日)
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