2006/8/15

田中康夫氏、再び「脱ダム」宣言  ニュース

(ニュース)
田中康夫氏、再び脱ダム宣言
新党日本HPで発表
【ライブドア・ニュース 08月10日】− 6日投開票の長野県知事選で敗れた現職の田中康夫知事は10日、代表を務める新党日本のホームページ上で、開票結果や2期6年の実績を振り返るコメントを発表した。
 「100年先を見据えて再び『脱ダム』宣言」との題で、初当選後の2001年2月に発表したダムに頼らない治水対策や、公共事業の削減など県政改革の成果を強調。今回の知事選で、岡谷市や諏訪市など大雨災害に見舞われた地域での得票率が対立候補を上回ったことを挙げ、「被災地の有権者は極めて冷静に的確に、100年先の信州の在るべき姿を捉えている」と結論づけている。
 また、コメント中には「『脱ダム宣言』を揶揄(やゆ)する護送船団・記者クラブの『報道』がなされる中」との記述もあり、一部メディアに限られた記者室の使用や知事会見への出席を一般に開放した「脱記者クラブ宣言」を掲げた田中氏の健在ぶりを伺わせた。【了】

(*以下が新党日本のホームページの、田中氏の再び「脱ダム」宣言です。)

100年先を見据えて再び「脱ダム」宣言
 新潟県に位置する刈谷田川と五十嵐川の流域では、2年前に襲った豪雨で12名の命が奪われ、1万所帯もの家屋が水害に遭いました。何れも信濃川水系の河川です。
 既に刈谷田川には1つ、五十嵐川には2つのダムが上流に建設され、100年に一度の洪水にも耐えられる筈でした。が、地球温暖化に伴う局地的豪雨は、建造400年の仏閣さえ押し流しました。
 流域では現在、敢えて堤防を切り下げ、100haの遊水池を設ける事業が進行中です。危険区域から家屋400戸を移転する計画も始まりました。
川の水を川の中だけで制御しようとする発想こそは非現実的、との新しい治水の哲学です。増水時には川を溢れさせる事で逆に治水を行う。その為にも、本当に護るべき住居や田畑を確定させる。河道至上主義とも呼ぶべき、従来の河川整備方針からの大転換です。
 それは、新潟県の単独事業ではありません。「『脱ダム』宣言」から5年半を経て、同様の精神の下に国土交通省の認可を得て、隣県で実施されている事業なのです。
 下諏訪町を流れる砥川上流に計画していた下諏訪ダム。茅野市を流れる上川上流に計画されていた蓼科ダム。信州では昨年、諏訪湖に流れ込む2つの河川のダム計画を何れも破棄し、ダムに依らない河川整備計画を策定。国土交通省から認可されました。前者は岡谷市、後者は諏訪市にも密接に関係する河川です。
 而して県全体では47%の得票率だった今回の選挙で僕は、豪雨災害に直面した岡谷市、諏訪市、下諏訪町、辰野町、箕輪町、茅野市、塩尻市の被災7市町の何れに於いても、対立候補を上回る得票率だったのです。
 別けても、「『脱ダム』宣言」発祥の地である下諏訪町で得票率61%、土石流が発生した岡谷市で58%、500戸余りが床上浸水した諏訪市で57%の高得票率です。
延べ1万人を超える県職員が市町設置の避難所に駐在し、床上浸水の個人宅をも支援した、それのみが理由ではありますまい。ダムに依らない河川整備が進捗している砥川、上川の流域では、他の河川と異なり、床上浸水等の水害は発生しなかった、その事実こそが被災地で冷静に受け止められたのです。
 而して、岡谷市でも箕輪町でも、土石流は“鎮守の森”たる神社を跡形も無く呑み込みました。古来、神社は集落の中で最も安全な場所に設営していたにも拘らず。
 幾人もの命が奪われた岡谷市湊地区で、地元区長は述懐しました。誰も危険な沢だと感じた事は無かった、と。が、殆ど森林整備が行き届かぬ国有林の、針葉樹主体で保水力も劣る荒廃した森は薙ぎ倒され、土石流が人家を襲ったのです。
林野庁の予算に占める森林整備は僅か8%に過ぎず、谷止め工に象徴される鋼鉄とコンクリートの公共事業が幅を利かしています。
こうした中、僕は就任以来の5年で森林整備予算を3.3倍に拡充し、小泉純一郎内閣が公共事業費を37%削減する中、土木建設業者の雇用の場を創出しました。それは、未来の子供達に借金の山を残さず、今後10年間で24haの間伐を実施し、広葉樹主体の緑の山を残そうとする100年の計なのです。
「『脱ダム』宣言」を揶揄する護送船団・記者クラブの「報道」が為される中、被災地の有権者は極めて冷静に的確に、100年先の信州の在るべき姿を捉えている。その事実に僕は深い感銘を受けています。

*新県知事の村井仁氏が田中氏の施策を継続するのか、転換するのかが注目されます。
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