2006/8/31

ノーモア水俣病:50年の証言(17)  公害・薬害・環境・医療問題

ノーモア水俣病:50年の証言/17 名付け親 /熊本
 ◇実態追及ゆえに冷遇−−「全容解明へ健康調査を」
 「『水俣病』と名付けたのは私です」
 現在も老人ホーム施設長を務める武内忠男熊本大名誉教授(91)。今なお白衣姿でりりしい。50年前の水俣病公式発見直後から熊本大研究班の一員として多くの患者の診察や解剖にあたり、有機水銀が原因物質だと解明した。
 武内さんは、戦前の満州医科大を卒業。在籍時に中国の医学書を多く読んでいた。
 「古代中国では水銀は生薬と混ぜて不老長寿の薬として用いていた。しかし、服用を続けた武将が狂い死にしたという詳細な記録があった。水俣で患者を診た時、それを思い出し『水銀が原因ではないか』と直感した」
 ドイツの病理学全書に記載されていたイギリスの農薬工場での有機水銀中毒事故の患者所見(ハンターラッセル症候群)が、水俣病患者と酷似していることを発見。猫に水銀を投与する実験を経て59年7月、有機水銀説を発表した。「水銀は常温で蒸発する。実験でずいぶん吸い込んだ。実は私も水俣病。今も足の裏が常に草履を履いたように感覚が鈍い」という。
 有機水銀説は経済優先でチッソを守ろうとする政府や御用学者から反論を受けた。政府が公式に「チッソ排水の有機水銀が原因」と認めたのは約10年後の68年。武内教授は、その後さらに「第3水俣病」騒動で行政や学内から冷遇を受けた。
   ◇   ◇
 「水俣病研究は患者だけを拾い上げている。一般住民も含めた疫学調査が不十分だ」。親交のあった米国の医学者から受けた指摘が、後に思わぬ波紋を呼んだ。
 武内教授は熊本大第2次研究班を組織し、71年に水俣や天草地区の住民健康調査に乗り出した。その結果、“非汚染地区”のつもりで調査した旧有明町(現天草市)で水俣病と同様の患者を確認した。「有機水銀中毒症とみうるとすれば、新潟水俣病に次いで第3の水俣病ということになり、その意義は重大」。報告書の総括が一部報道でスクープされ、全国に水銀ショックが広がった。
 最終的には環境庁の“安全宣言”や熊本大医学部教授会による“シロ判定”で幕引きが図られた。それまで県認定審査会委員として比較的多くの認定を出していた武内教授は、74年の任期切れ後に県の再任要請がないまま辞任。次第に水俣病から遠ざかった。
 水俣病は、いまだに認定申請者が増え続け、裁判闘争が続く。「不知火海沿岸に居住歴がある人の8割は患者でしょう。(水俣病の全容を明らかにし)問題を終わらせるには住民の健康調査しかない。今は症状をつかみにくい人が多いだろうが、数十メートル走らせるなど負荷をかければ明確に出てくる」と話す。
 関西訴訟最高裁判決で認定基準が事実上否定され、認定審査会はストップしたままだ。「私が元気なら審査委員を受けてもいい、そして自分なりの審査会を作る。今は水俣病についてきちんと判断ができる学者がいないから、問題が解決しない」。卒寿を過ぎた医師の眼に一瞬怒りの色が見えた。【水俣病問題取材班】
毎日新聞 2006年8月8日
0



コメントを書く


名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ