2006/9/30

水俣病50年 「救済」への道標(1)(2)(3)  公害・薬害・環境・医療問題

(*西日本新聞の記事を転載)
西日本新聞連載
「水俣病50年」 
■第8部 「救済」への道標 (1)〜(3)

■「救済」への道標<1> 山、登り切れず 次善の策 苦悩の末の着地点
小池環境相あての提言書をとりまとめた「水俣病問題に係る懇談会」座長の有馬朗人元文相(中央)とノンフィクション作家の柳田邦男氏(右端)ら=9月1日、東京・都道府県会館 
 「問題の根底には認定制度があると今でも思っている。提言は次善の策、現実的選択だった」
 1日、小池百合子環境相あての提言書をとりまとめた「水俣病問題に係る懇談会」。起草を担当した委員のノンフィクション作家、柳田邦男氏は会合後、この日最後まで推敲(すいこう)を重ねた提言の草案に目をやった。
 提言は公害・健康被害者全般への国や政治の積極的関与、救済システムの構築を求める大胆な内容。水俣病では全被害者の救済・補償の恒久的枠組みづくりを求めた。一方で、焦点の認定基準見直しに踏み込みきれなかった。
 認定制度を壊すべきだという意見は無論、委員の側にあった。行政側は「絶対に受け入れられない」との立場を貫いた。
 「無理に盛り込めば、ほかの福祉対策の提言までご破算にされる恐れがあった。それでは懇談会は玉砕に等しい。ぎりぎりの選択だった」。柳田氏は振り返った。
 ■ ■
 6月26日未明。環境省の1室で、ファクス受信を知らせる電子音が響いた。給紙を始める乾いた音とともに、吐き出された原稿を読み進めた環境省幹部は顔をしかめた。「これはのめない」
 送り手は柳田氏。この日開かれる起草委員会のため事前に送信した提言の「たたき台」だった。昨年4月に始まった懇談会は今年5月の第12回会合を最後に、非公開で起草作業に入っていた。
 ファクスの内容は環境省にとってあまりに刺激的だった。「現行診断基準は見直すべきだ」「水俣病についての新たな診断指針を作成する」…。
 認定基準を廃し、新たな基準で広範な補償制度を創設しようとする抜本的な提案だった。
 数時間後。都内で開かれた会合で環境省側は実に40カ所に及ぶ修正・削除要求を突きつける。協議は物別れに終わり、この日から2カ月間、提言完成まで水面下の折衝が続くことになる。
 ■ ■
 現行の認定基準は長い経緯の中で無数の人々の利害が複雑にからみあいながら形作られた。いわば設計図なしで幾度も増築を重ね老朽化した建造物のごとく、危ういバランスで存立している。
 官僚たちは、その基準の見直しが、新たな不公平を生み、際限ない財政支出を招く恐れを生じさせる行為ととらえる。
 「認定基準には触れないでいただきたい」「仮に見直しの提言を受け入れれば、原爆症など、他の問題にも極めて大きな影響が及びます」
 行政の論理は委員の想像を超え強固だった。
 「環境大臣の諮問を受けた以上、委員はこちらの言うことに従う公的義務があるはずです」
 「政治決着にかかわった与党の政治家がだまっちゃいませんよ」
 強気の背後には、時に行政の論理を力ずくで押さえ込む「政治」が、今は行政と同じ「制度維持」の側にいる、という確信が見えていた。
 ■ ■
 この国の「失敗の本質」を総括したい−。
 小池環境相が意欲的に立ち上げた懇談会は、公式確認から半世紀の今なお続く混乱の元凶「認定制度」の見直しという課題に行き着きながら、現実的な着地点を探さざるを得なかった。
 「認定基準を将来に向かって維持する選択肢もそれなりに合理性を有しないわけではない」
 懇談会の苦悩が凝縮された提言の一文。水俣市の胎児性患者の共同作業所代表の加藤たけ子委員は言った。「山を登り切ることはできなかった」
   □   □
 約1年4カ月に及ぶ13回の会合をへて1日まとめられた水俣病問題に係る懇談会の提言は、「認定基準見直し」こそ明言しなかったが、水俣病の解決と水俣地域の再生のために多くのメッセージを盛り込んだ。懇談会での議論を踏まえ、この貴重な提言を道しるべとし被害者の救済にどう取り組むべきかを考える。
[06/09/02]
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/minamata/20060907/20060907_008.shtml

■「救済」への道標<2> 再構築 患者交えた議論必要―連載
熊本市の繁華街を行進する水俣病不知火患者会の訴訟原告団。だが、裁判への見方は患者団体間でも異なる=4月28日 
 「そこまで環境省は言わないだろうと、最初から思っていた。委員には一生懸命やってもらったと思う」
 1日、東京都内で開かれた水俣病に係る懇談会の最終会合を傍聴した「水俣病不知火患者会」の大石利生会長(66)は、「認定基準見直し」の文言が盛り込まれなかったことにも意外なほどあっさりした言葉を発した。
 国への損害賠償を求め、原告1000人を超える集団訴訟を起こしている同会。「加害者である行政に本当の被害者救済はできない」とも語る大石会長の言葉には、国への不信感が色濃くうかがえた。
 認定基準見直し−。それは、水俣病問題最大の命題だと言っていい。あまりに狭い「認定」の門戸に、これまで1万人以上が棄却された。裁判所ばかりでなく、医学界や医師の間からも、その科学的妥当性に批判の声が相次いでいる。
 それでも頑(かたく)なな国の姿勢を突き崩せない中、乱れてきたのは被害者の方だった。患者被害者間には今、深刻な対立がある。時に、怒声が飛び交うような。
   ■   ■
 「みんながまとまろうとしとるのを、邪魔しとるだけじゃなかですか」
 7月20日。熊本県芦北町で開かれた水俣病被害者の意見交換会で、大石会長に向けてある被害者団体代表から敵意のこもった言葉が放たれた。
 会場参加者からのアンケート用紙の内容を県職員が紹介し始めた時だった。「裁判なんかする人がおるから、みんなが迷惑しとる」「不知火患者会には(新保健などの)手帳はやらんでほしい」
 会場後方に座っていた大石会長は、たまらず手を挙げて発言を求めた。「そんな批判を受ける筋合いはない。私たちが裁判を起こしたから、前向きな救済案だって出てきたんでしょう」
 懸命の訴えも「邪魔」発言にかき消された。場の雰囲気は重く、とげとげしいまま変わることはなかった。
 出席していた別の被害者団体「水俣病被害者芦北の会」の村上喜治会長(57)は頭を抱えた。
 「足並みそろえて交渉したいが…。これじゃ、まとまらん」
   ■   ■
 その村上会長にしても、裁判とは一線を画す。
 「私らには目の前の生活がある。10年も20年も裁判はできん」。無論、国の責任で救済を進めるべきだ、との思いは共通する。ただ、会員の7割は70歳以上。「死んでからでは遅い。現実を直視すべきだ」と早期の救済を望むからだ。
 「認定基準が見直され救済の門戸が広がりそうだ」。最高裁判決(2004年)後、地元には期待感が膨らみ新たな患者団体が生まれた。しかし、国の「見直し拒否」の姿勢は強硬で、「新保健手帳制度」「第2の政治決着」などの救済案が小出しにされるたびに、患者側の受け止めは分かれ溝が広がった。「全患者団体が認定基準見直しを求めているわけではない」。環境省は、それを巧みに免罪符にさえ使う。
 「もれなく適切に救済・補償することのできる恒久的な枠組みを早急に構築する」と求めた懇談会の提言に、地元では「今度こそ本当に何かが変わるかもしれない」の期待と、「50年間変わらなかった国が本気で取り組むだろうか」の不信が交錯する。
 国によって分断された各患者団体も議論の場に加え、幅広く意見をくみ上げられるか。それが再構築成否への鍵を握る。
[06/09/02]

■「救済」への道標<3> 診断 生活の症状目配りを
「医学の敗北感」を味わいながらも未認定患者の診察を続ける松本央医師=熊本県津奈木町 
 「水俣病の前で、医学は無力です。目の前で苦しむ患者を救ってあげられないんですから…」
 熊本県津奈木町の開業医、松本央(なかば)医師(79)は午前中の診察を終え、腕まくりの白衣姿でスイカにかぶりついた。
 午前中だけで、7人の水俣病申請患者を診断した。傍らには、手足の感覚を調べる針がついた器具など水俣病診断の検査器具が並ぶ。7人ほぼ全員に、視野狭窄(きょうさく)や感覚障害が認められた。
 2004年10月の関西訴訟最高裁判決で、現行の認定基準が事実上否定されると、松本医師の元にはさらに大勢の認定申請者が訪れるようになった。連日10人前後。2年足らずで累計は2000人を超え、中には北海道や関東に移り住んだ元住民の姿もあった。「水俣病患者を診たことのない医者には、水俣病の診断は困難だ」。多くの臨床をこなした自負が、松本医師に言わしめる。
 水俣病との出会いは47年前。勤務していた熊本大医学部での当直の夜、やせ細った入院患者が、けいれんで震えながら立っていた。「薬を投与しても効果なし。何もできず、一晩中ただ患者の手を押さえていた」
 父も水俣病で亡くなった。医師としてむなしさを感じた。47年たった今も。
   ■   ■
 田園風景の中で、都会的なデザインが目を引く校舎。熊本市郊外の県立熊本保健科学大の学長室に響いた岡嶋透学長の声は、自信に満ちていた。
 「判断条件を変える必要はありません」
 1977年、岡嶋学長ら専門医グループが環境庁(当時)の要請で作り上げた水俣病の認定基準。感覚障害、運動失調など複数の症状がなければ水俣病とは認めない。
 だが、最高裁判決のほか、日本精神神経学会も今年5月に「現行の判断条件は、医学的判断条件には値しない」との声明を発表。同学会の岡山大大学院、津田敏秀教授は「水俣病は食中毒事件なんです。血便、嘔吐(おうと)、発熱の複数症状がないと食中毒患者として認めないといっているのと同じで、医学の常識に反する」と批判する。
 風当たりが強まる中にあっても、岡嶋学長は強い口調で反論した。「司法と医学の判断は違う。学術的には、認定基準を変更するに足りる新しい医学的根拠は十分でない」
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 「被害者の救済の先送りに手を貸した学者の倫理のあり方という点でも、水俣病事件は大きな教訓を残した」「既成の医学書の概念や定義の中に患者をあてはめるのではなく、患者の生活環境の中で病態を見つめるという調査・研究の取り組みの重要性が、医学者たちや行政官によって意識されていたなら、水俣病問題の展開は全く違ったものになっていたに違いない」
 1日にまとまった「水俣病問題に係る懇談会」の提言では、水俣病事件での医学者の対応を厳しい言葉で批判した。
 認定基準を維持したまま、その基準に合わない被害者を包括的に救済する−。この提言を生かすには、被害者の日々の生活にまで踏み込み症状を細かく診ること、そのために、まず不知火海沿岸での健康調査を行い、被害の全容をつかむ取り組みも必要だろう。
 今でも毎日、水俣病患者が訪れる松本医師の診察室には、額が飾られている。そこには、こんな医学者の言葉があった。
 「医学と医療は、医師や研究者のものではなく、患者さまのためにある」
[06/09/04]
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