刈谷田川

2013/9/16  23:13 | 投稿者: min

 新潟県中越地方には刈谷田川が流れている。
 刈谷田川は守門岳を源とし、長岡市(栃尾)、見附市、長岡市(中之島)、三条市を通って信濃川と合流する。全長54キロの一級河川である。
 刈谷田川は昔から暴れ川と呼ばれ、何度となく氾濫し周辺地域へ災害をもたらしてきた。
 そのおかげで、肥沃な大地をもたらしたが、氾濫のたびに人々を苦しめた。
 近年は治水が進み改良が重ねられてきた。

【パティオにいがた】
 昨日の9月15日、8月23日にオープンした「パティオにいがた」に行ってみた。
 「パティオにいがた」は見附市今町の国道8号線から旧中之島町方向に向かい、刈谷田川の「中之島大橋」手前右側に建てられている。そこには、地元の野菜、漬物、工芸品などが売っているほか、レストラン、「防災アーカイブ」がある。その敷地内には公園が併設されており、そこでは親子連れが野球などを楽しんでいた。
 「パティオにいがた」の中にある「防災アーカイブス」では、平成16年7月13日に豪雨によって牙をむいた刈谷田川の水害の記憶(体験した方にとっては記録というより記憶といったほうが正しいような気がする)やその後の対策の様子を見ることができる。
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(パティオにいがた)

【刈谷田川の水路変更】
 「パティオにいがた」のすぐ近くに平成21年に完成した前述の中之島大橋という新しい橋がある。私はその周辺に何年かぶりに行ったが地理がよくわからなくなっていた。昔から刈谷田川の左岸は長岡市(中之島)であり右岸側は見附市になる。橋の手前20メートルほどのところに、「見附市」の案内標識がある。その看板を見たときに違和感を感じた。
「確か、刈谷田川を堺に見附と中之島に分かれていたはずだから、橋のたもとに見附市の看板が出てよいはずなのになんでこんなに手前に看板つけたんだろう。」
 そう、実はこの「パティオにいがた」の隣に流れている刈谷田川はもともとは川ではなかったところなのだ。7.13水害のときは、今の「パティオにいがた」のあるところに刈谷田川が流れていたのだ。
 ここは、刈谷田川が大きく蛇行していた地区であり、そのせいもあって刈谷田川が決壊し、付近は洪水となりこの地区の3人の方が亡くなった。このため、大きく蛇行した川を緩やかなカーブにするため人工的に川の水路を変えたのだ。もともと、蛇行していた部分にかかっていた橋は水路の変更により無くなり、新たな橋がかけられたのだ。
 ただし、見附市と長岡市の境界は川の流れが変わっても変更されていない様子で、昔の流れに沿ったままの境界となっているようである。このため、橋たもとはの昔のまま長岡市となっており、「見附市」の案内標識も橋のたもとから少し手前に設置しているのだろう。
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(水害前の刈谷田川の流れ:yahoo地図から拝借)
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(水路変更工事が進む刈谷田川、まだ上の方には今はなき今町大橋が残り、パティオにいがたの姿もないようだ:google地図から拝借)

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(完成した中之島大橋)
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【見附が作ったのになんで「パティオ”みつけ”」じゃないの?】
 「パティオにいがた」の敷地は前述のようにもともと川が流れていたところで、ほとんどが長岡市に位置し、その一部が見附市となっているようである。
 「パティオにいがた」は見附市が作った施設であるが、見附市の人は何で「パティオ”みつけ”」にしなかったのかと不思議がっていたが、敷地のほとんどが長岡市では「パティオ”みつけ”」とはつけにくいよなあ、と自分なりに納得した。真偽のほどはわからない。

【上流での7.13水害後の対策】
 7.13の刈谷田川流域の水害は、旧中之島町にも大きな被害をもたらしたが、中之島地区よりも上流の名木野地区、庄川地区でも刈谷田川の決壊により被害がでた。特に名木野地区は一面湖のような風景に変貌し、その姿には目を疑った。
 その後、刈谷田川の改修工事が行われ、増水時に優先的に川の水を流す遊水地を何箇所か設けるなどの対策を行い、平成23年の新潟・福島豪雨では、そのおかげで下流域への被害を大きく軽減することができたという。
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(今日の遊水地への越流堤、台風の影響で水位は上がっている。いざというときにここから遊水地へ水が流れる)


【めいろくばし、じゅうえんばし】
 昨日から今日にかけて台風18号が日本全土を通過し、近畿を中心とした全国各地に被害が生じた。今朝の鳴鹿橋付近の刈谷田川の水位を確認したが、平時の水位とほとんど変わらなかった。しかし、午後に再度確認したら、上流の栃尾方向からの水が大量に流れ込み、かなり増水していた。
 この鳴鹿橋付近を取った今日の写真がこれである。
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 この橋は、子供のころから馴染みの深い橋であるが、この「鳴鹿橋」という名前が風情があって好きである。なんといっても鹿が鳴いている橋というのが気に入っている。しかし、前に史料を調べていたら、そもそもこの橋は、明治6年に初めて架けられた橋であり明六橋ともともと呼ばれていたとのことであった。新発見であったが、少し残念であった。

 刈谷田川には「じゅうえんばし」というのも架けられている。これも最近まで勘違いしていて、「重猿橋」だと思っていた。猿が重なってできた橋なんてなんて素敵な命名だろう。「鳴鹿橋」と「重猿橋」なんて風情のある橋の名前が多いのだろう。
 ところが、この「じゅうえんばし」本当は「重”遠”橋」だったのだ。今度橋を架け替える時は是非「重猿橋」にしてもらいたいものだ。


【見附小学校校歌(作詞:西条八十)】
  仰ぐ理想は守門のみねに
  白く輝くたかね雲
  はげむ努力は刈谷田川の
  やまずよどまぬその姿
  元気いっぱい日本をにのう
  我等は見附小学生
(見附小学校は、鳴鹿橋が架けられた年と同じ明治6年に開校し、創立140年を迎える)

【見附中学校校歌(作詞:中俣叶)】
  筬のひびきに 刈谷田川も
  波の綾織る機業(はた)の町
  愛だ睦だ 見附中学生
  明日の日本を負う我ら


 刈谷田川と見附は切っても切れない縁があるのだ。
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