▲小松菜産土神碑(新小岩厄除香取神社/江戸川区中央)
いまさらながらもういちど。
小松菜は江戸川区小松川の一帯で栽培されていたところから、その名がついたといわれています。当初はこれといった固有名はなく、地元でおおざっぱに「菜(菘)」とか、「冬菜」というふうに呼ばれていたようですが、のちに味の良さが知られるようになると、下総葛西で穫れる「葛西菜」として有名になりました。
では、「小松菜」という名前になったのはいつか?―
ここで定番としてよく知られるところが、徳川将軍による命名エピソードです。『江戸川区の昔ばなし』(江戸川区教育委員会編)には、こんな話が収められています。
江戸時代のころ、徳川八代将軍吉宗をはじめ、代々の将軍は、
冬になると江戸川区の村むらにたびたび鷹狩りにきました。
鷹狩りというのは、よく飼いならした鷹を野に放して、鶴や
鴨などの鳥を鷹につかまえさせる狩りのことです。そのころ、
江戸川区には、鶴もとんできて、田んぼや小川で、どじょうや
小魚をとって食べていました。
鷹狩りをする将軍は、おひるごろになると、西小松川村の
仲台院や下平井村の燈明寺、新堀村の勝曼寺や大きな農家
などにたちよって、昼食をとりました。どこの村でも、その折り
には、自慢の産物をつかって、将軍さまに料理をさしあげる
ようにしていました。
ある時、何も料理するものがなくて、しかたがないので、
東・西小松川村あたりでとれる冬菜をすまし汁にいれてさし
あげました。それを召しあがった将軍は、
「おお、これはうまい。この菜のなまえはなんと申すのか」
と、たずねました。村人は、
「はい。あのー、そのー、この菜にはとくになまえはついて
おりません。ただの葉っぱでございます」
と答えました。すると、将軍さまは、
「このようにうまい葉になまえがないとは残念なことじゃ。
それではなまえをつけてつかわそう。ふーむ。そうじゃ。この
村のなまえをとって、これからは小松菜とよぶようにせよ」
と、いわれました。
それから、このあたりでとれる冬菜を小松菜とよぶように
なったそうです。
この「小松菜」の命名をした将軍については、現状では(8代将軍)吉宗説が広まっています。が、一説には(5代将軍)綱吉だともいわれていて、実際のところはよくわかりません。蘊蓄、あるいはトリビアとしてはじゅうぶん面白いと思いますが、たぶん確証となり得る一次史料は存在しないんじゃないかな。

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