ワンコの散歩で毎日通る場所に、ニテコ池と呼ばれる小さな池が南北に三つ並んだ水源池がある。郷土史によると室町時代に戎神社の土練壁を作るためにこの辺りから土を採取したとあるが、その穴が池になったとは考えにくい。ここの南は谷になっており、満池谷と呼ばれているので人工ではなく昔からあった池を3つに分けたと考える方が自然な気がする。
この南端の池が野坂昭如氏の小説“火垂るの墓”モデル地であることはここに何度か書いてきたが、12月2日の朝日新聞関西版に当時の詳しい話が載っていた。それによると野坂兄妹が隠れ住んでいたのは池を南下した防空壕2か所であり、その2か所の間に世話になっていた親戚の家があったというのだ。
小説を読んだ時、僕は三つ目の池南岸にあった暗渠跡が二人の住み処だと思った。入り口は雑草で覆われた上、たまにネコが中で死んでいたりしてなかなかおどろおどろしい場所であった。今はこのように鉄格子がはめ込まれ、満水時の安全弁になっている。幸いなことにここから水があふれ出たことは無い・・・多分(笑)。
アニメではこの東岸道路を遡った斜面を想定していたように思うが、1960年頃には日本銀行の社宅が斜面の上にあり、確かではないが防空壕を埋め戻した跡が斜面にあったと記憶している。その内、ここがホントの住み処だと思うようになった。現在、斜面には ↓ こんな立派なマンションが建ってしまった。
この三つの池の水面には高低差があり、北の池から順に南へ余剰分が流れてゆく。そして三つ目の南池で水源として使われなかったオーバーフロー分は小川へ流される。僕の子供の頃、この小川は澄んだ水で下流では蛍が舞っていた。戦争中ならその頃より水はきれいだったに違いない。小説では三つ目の南岸で体や食器を洗ったことになっている。
ところが記事によると、二人が住んでいたのは池の西岸道路・東岸道路をそれぞれ南下した場所にあった防空壕だとのことだ。西の防空壕は当時の資産家個人の持ち物で空き家になっていたとか。↓ 恐らくこの辺だと思う。
ここをもう少し南下した先に満池谷を一望できる階段がある。野坂の親類宅はこの下にあったそうだが、86年確認の為にジブリ関係者と一緒に来た野坂は『これ以上先には辛くて行けない』と進まず、住み処等の場所は資料から類推してジブリ側が設定したそうだ。
親類宅は角から2軒目、車と車の間にある空き地に立っていた模様。その先に見えるのが前述の急階段。
もう一つの東岸道路を下ったあたりには高射砲部隊が掘った壕が2つあり、南側には、よちよち歩きの女の子を見かけたとの証言も載っていた。
記事では親戚の叔母に虐待された話は野坂のフィクションとあり、叔母の葬儀では『悪く書き過ぎた』と謝ったそうだ。節子(モデルは義妹で恵子)はこの壕で亡くなったことになっているが、実際は疎開先の福井で死んだという。三宮で野垂れ死にした14才の清太(野坂)は2015年の12月9日心不全で死去。85才だった。

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