2007/9/26

宮沢章夫様へのメール  演劇

昨夜は『ニュータウン入口』拝見させていただき、大変ありがとうございました!
宮沢さんが自分とほとんど同じことを描こうとしているのだということが手に取るようにわかり、というのはあまりに僭越ですが、しかし手前勝手ながら痛いほどに感じられたのでした。それはある時期に我々が手にしてしまったどうにも解決のつけようのない「あのこと」の問題を、解決へ導くのではなく経過としてでも継続して描いていくことの重要性も含めてなのだ、と確信するのですが、しかし宮沢さんは演劇、僕は映画でそれをやろうとしている、ここの違いを深く感じ、また今後これを自分は自分でどう展開していくべきなのか、これほどまでに深く考えてしまったこともいままでありませんでした。
宅地造成地と森の間(とはかぎりませんが)にスクリーンを吊るために建った鉄骨が、あるときは掟の門に見え、あるときは鳥居に見え、あるときは壊れたジャングルジムに、さらにセコイアの林にも見えましたが、それが何に見えようとわれわれはつまるところこれまであらゆる場所に引かれていた「境界」というものをもはや信じることはないのだ、という決意のようにも見受けられました。この決意はまた私のものでもあります。それを見届けるために、泣いてはいけない、これは泣いて見逃してはならない、と、その手で哀悼を捧げるべきポリュネイケスの存在が抹消されてしまうシステムの残酷さがアンティゴネを黒々と染める最終部を懸命に堪えたのでした。
手を洗うときのイスメネ、オブシディアン、ポリュネイケス三者の白い衣装が卓抜でした。
若松さんの声はやはり素晴らしい。それから三科さんの声量も尋常ではない。
南波さんが途中で能を舞いはじめるところは大いに笑いつつ、刺激を受けました。あれはちょっと拙作『こおろぎ』で沖縄の歌をライヴでやるところに似ている気もしました。

いまのところ、ここまでです。もっともっと考えます。いただいた戯曲もしっかり読みます。そうしてこれから自分のできることをしっかり考えようと思います。蜷川さんのシェイクスピアも私にとっては他山の石です。ですが、宮沢さんのこのオリジナルはまさに自分自身に課せられた何かとそっくりなのです。
考えがまとまったら再度メールします。
それか、またゆっくりお話できるとうれしいです。
ではでは!
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