2007/11/7

OZAWAか!  議論

昨夜の記述についてお二方からコメントをいただいた。自分自身、いくらか冷静になって記憶を辿ってみた。で、三つの事象が浮かび上がった。

第一。監督が複数の「批評家」と称する人物たちの取材を断っていること。どうせ話してもつまらない話、もしくは不愉快になる話しかできないから、時間のムダであると判断して断っている。
第二。ある記者によって拙作が「カンヌに落選してヴェネチアへ行った」とどこかのサイト(不詳)に書かれそうになったことについて、製作会社がそれは事実誤認であり、カンヌの《ある視点》部門へは前々作で重複する俳優陣とともに行っているので今回は《オリゾンティ》部門であってもヴェネチアが招いてくれるならそちらに行きたい、と監督自身が希望した、という経緯があってのことだ、として抗議した。
第三。また、ある記者が試写のアンケートにプロデューサーの逆鱗に触れる何か(残念ながら監督自身は読んでいない)を書き、以後弊社の作品の試写にこの記者は出入り禁止にするとプロデューサーが宣言した、という件。

第一について、過密なスケジュールのなかでその思考が間違っている、もしくはバカであると判断しうる人物と話す理由はない、というのは常識的判断だろう。これは伝聞だが他の監督はそれらの「批評家」と称する人物たちを、優れている、として受け容れているようで、つまり監督個人の場合のみオミットされているはずだから営業妨害になってはいないはずだ。
第二はただの事実誤認であり、抗議を受けた記者とそのサイトがどういう関係になったかについて、抗議した製作会社に責任がかかるとは想像しにくい。
第三についても、これはたんなる資本主義の論理である。自社に不利益な言説を発する人物を受け容れる必要が利潤を追求する会社組織にあるはずがない。

これらに対する「〜を貶めると干される」という日本語の使用は間違っているのではないでしょうか。私が怒り、呆れるのはこの点についてです。当該日記執筆者による拙作に対する意見には何ら怒ってはおりません。ただ、何か公的な場に批評めいたことを書きたいならたとえば『小説から遠く離れて』くらいは読む必要があるだろう、とまでは言わないがしかしどんなことが書いてあるかくらいは把握しておくべきだよ、とアドヴァイスしたい。というか、彼の教わっているセンコーがそんくらいの指導せーや、とw
何度か繰り返していますが、私はこの国の言説的インフラとしてのネット上のブログ、日記などに可能性を求めており、そのためには書く側の自覚を促す必要があると考えてこのようなことを書いています。多くの識者たちが「バカはほっとけ」と相手にしなかったためにひどいことになっている現状をどうにかすべき(さすがに某所にまでは赴く必要を感じませんが)だと考えるのは、自分の作品についてそこで様々な言説が流布される当事者としては自然なことでしょう。ゆえに正当な批判も読んで反省すべき点は反省しています。ただ、この手の噂・風評・誹謗中傷については、私はどうでもよいけれど私の仕事仲間に不快を与えることがしばしばあるので抵抗する必要があるのです。
「安易によく知らない人を批判する」ことは決して悪いことではなく、こうした言説空間ではそれがあって当然です。ただそこでさえ最大限の注意を払って言葉を尽くす必要はあるはずです。これは、過去に他人に向かってひどいことを書き殴っていた自分への戒めでもあります。しかしそのときも私は何度も推敲して提示しておりましたが。
ちなみに「日本映画の外にいる青山」=「世界のアオヤマ」という図式ですが、これはフリーペーパー『シネ砦』の認識を故意に誤って受け取った皮肉と考えられ、『シネ砦』の執筆者たちの何人かと長く友情を持って接している人間として非常に不快である、と言っておきます。
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