2007/12/27

俺はそこにいない  映画

トッド・ヘインズ『アイム・ノット・ゼア』@シネマート試写室。
IQの高そうなアメリカ映画の極み、といったところか。映画としてはここまでやれば文句のつけようもないし、タイポグラフィーやフィルターワークのかっこよさなどここ最近では最強、といっても過言ではない。各役者も過不足ないし、現代史をちょっと前、つまり近代史の反復として見る構成そのものがまさにディランを学習した成果であるといえるだろう。しかし……何だ、この既視感は。ここまではすでに『ボブ・ディランの頭のなか』で見たよ、と言いたくなるのはディラン好きだけだろうか。この先が知りたかったし、それを期待していたのだが、その意味では肩透かしを食らった感が否めない。隠遁先を出て行く、その先での『ボブ・ディランの頭のなか』とは異なるクライマックスを期待した俺がまちがっていたのか。いったいディランの「ネヴァー・エンディング・ツアー」をどう捉えるのか、それに言及することがすなわち作者が現代アメリカをどう捉えるかの答えになると思っていたのだが。それともこの〈アイム・ノット・ゼア〉という未発表曲のタイトルこそがその態度表明とでも言いたいのか。複数の存在によって演じられる「遍在」から文字通りの「非在」へ? だとしたらいまのディランの現実については議論の余地がある。そもそもいまのアメリカでディランはどのように受け取られているのか。ただの物語か。伝説か。だとしたらたんに、そうであってはならない、とのみ言っておく。

……とはいえ、来年最も見られるべき映画の一本であることは間違いない。
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