2008/1/12

毎年一月に「今年のベストワン」が!  映画

万田邦敏監督『接吻』を見た。昨年、先輩に対しては甘い顔をしてはならない、という態度を某大先輩監督から学んだので、はなから文句を言ってやろうという姿勢で拝見し、見終わって帰宅後すぐに欠点と思われる箇所をあげつらったメールを万田さんにお送りしたが、結局は一月にしてすでに(去年の『デジャヴ』もそうだった)今年度(少なくとも邦画)ベストワンである、と書かずにはいられなかった。このレベルを保有する日本人監督は現在五、六名しか思い浮ばないからであり、その彼らが今年公開される映画を撮影中とは聞いていないからである(あ、もしかするとひとりは今年じゅうかも)。しかしながら同時に、あえて申せば、このメンバーを揃えて万田邦敏がこのレベルの映画を作るということは私にとっては当然でしかないので、まったく驚きはなかった、とも付け加えておいた。まったくひどい後輩だ。殊に豊川悦司さんがここ最近の現代日本映画におけるベストと思われる芝居を見せているが、これぞ万田邦敏監督であればこそ実現した成果だろう。危うく感情移入しそうになった。……といったことを日本映画をまるで見ていない私がよく言うよ、というわけだが、プロとしてこういうことは見なくても分る、と強弁しておく。

以下、重要な一点だけ。他人事として平然とこういうことを書くのはまさに先輩を踏み台にしようとする自分のためである。
なので、ここからは未見の方は読んではいけません!


ここでもトニーさんやデパルマさんのように映像上の存在に恋してしまう存在が描かれるのだが、その瞬間への執着が足りないと思われた。なにが足りなかったのかはもう一度見て確認しようと思うが、そこで鳴っている音響のせい(本作の音響設計は甘い、と言ってしまえば日本映画のすべての音響設計が甘いにきまっているわけだが、それは音響担当と監督との議論する時間がなさすぎるせいだ)だったかもしれない。あるいはクローズアップが回避されたせいかもしれない。またあるいは構成上、それを小池栄子さんの登場シーンにし、その前の会社の場面などを棄ててしまうかその後で回想的にさらっと流すだけに(コンビニでタクシーの領収書を握り潰すときにインサート)すればよかったのかもしれない。映像上の存在の虜になる瞬間とは、よほど激しくなければ説得が鈍る。トリュフォー『アデル』を持ち出すなら、その登場からイザベルさんは常軌を逸していた。あるいは増村『女体』の浅丘ルリ子さんしかり。登場から常軌を逸しておくことがこの作品に入っていく鍵となるべきではなかっただろうか。
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