2008/10/13

明日、踊ろうぜ  ツアー

四泊五日で京都へ。映画祭のお題は「マキノ映画100年」。というわけで、マキノを見まくる日々。山根貞男氏とともによく呑んでよく語った。途中、京都造形芸術大学というところでシンポジウムにも参加したが、自分はたいしたことは喋れず、というよりその直前に見た『阿波の踊子』に脳みそをかき乱されてしまったせいで、惨憺たる状態だった。前夜の鈴木則文・中島貞夫・澤井信一郎の三監督のトークが見事にマキノを語りつくし、なお時間の短さを誰もが惜しんだのに比べても自分の若輩ぶりを恥じずにはいられなかった。しかしその『阿波の踊子』から拝借した上の表題は、そんな「恥ずかしさ」もものともせずマキノに通う自分自身への景気づけに他ならない。
よしなしごとはさておき、今回初めて見たのは『神田祭り喧嘩笠』『抱擁』『大暴れ五十三次』『阿波の踊子』『清水港の名物男遠州森の石松』『肉体の門』といったところで、何回目になるか分らない『破れかぶれ』『死んで貰います』などと併せて、自分の映画的な欲望の大部分が無意識的にマキノに刺し貫かれていることに否応なく気づかされたのだった。本数を多く撮っているのだから見ている本数も当然多くなるわけだが、それだけでなくマキノの運動神経と反射神経がことごとく自分の身体にフィットしていて、それはほとんど衣服の着心地の良さのようなものだ。殊に何年ぶりだかでスクリーンで見た『死んで貰います』には約一時間、延々と泣かされ続け、発熱してしまったほど。しかもその後に見た、教会・橋・廃船・廃墟の床の穴と階段が組み合わさってほとんどシュールレアリズムかよという『肉体の門』の轟夕起子が池玲子に瓜二つ、かつドラマ自体も女番長シリーズにそっくりで、則文師匠に受け継がれたマキノの見えざる血の濃さに唖然とさせられるのだった。あの轟夕起子の高笑いは大友柳太郎のいくつかの作品とも共通し、そんなマキノの悲痛な高笑いというものがあることにもしみじみと思いを馳せた。則文師匠といえば、『抱擁』のBAR山小屋のしみったれた常連たちは『大いなる助走』の地方都市にある文壇バーのそれとこれまたそっくりだった。もちろん則文師匠は見てもいないし意識もしていないはずだが。
それにしても、その『抱擁』の銀座の大群衆のクレーン撮影は凄まじいものだった。おそらくスタジオと思われた(そう言えば街角に日本未公開のはずの『ラスティメン』のでかい英字ポスターが貼ってあった!あれはなんだったのか?米兵向けの上映というのがあったわけか?)が、直線の道路がうねるようで、もしかするとセットを緩やかな円環状に組んで距離を稼いだのかもしれない。雪山の発炎筒を携えた追手は御用提灯を掲げる時代劇の捕り方と同じで、そんな時代劇から現代劇への発想の転換もマキノらしい。
そうして『阿波の踊子』である。あの大群衆のうねりが人間の生を超越してなにか自然現象の運動のように見えるクライマックスと、主たる登場人物がことごとく幽霊のように見えるその不気味な神出鬼没さに、これはホラー映画か、と呟き、謎の浪人三人組には、これは狂犬三兄弟か、と呆れ、自分もまた混沌の渦に巻き込まれたのだった。
マキノの巨大な知性は民衆の知の蓄積そのものだ。かれはそれを繰り返し語った。同じ話を何度でも飽きず語り続けることこそが巨大なエネルギーを呼び起こす。マキノの遺産とはつまりその教訓だ。匿名の集団が毎年毎年、明日踊ろうぜ、と囁きあえばいい。そこに映画の爆発的蘇生の可能性がある。

朝起きてなお体調がよくないため、連休終わりの混みあいも予想して朝の新幹線で帰京。
家に辿りつくと猫六匹が出迎えてくれた。しやわせなり。
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